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テーマ:お勧めの本(7350)
カテゴリ:ブラームスの本棚
陸軍大将,日露戦争において満州軍第三軍司令官。 のちに伯爵,学習院長。 この輝かしい経歴とは裏腹に,彼は無能な軍人でした。 若かりしころの西南戦争においては敵方に軍旗を奪われる大敗北を喫し, 日露戦争における旅順攻略では何万何千人にも上る死傷者を出しながら, 自力でこの要塞を陥とせず,大本営はもとより満州軍総司令部や連合艦隊の幹部たちをやきもきさせませした。 幸い,朋友であった満州総司令部参謀総長・児玉源太郎がこれを見かねて旅順へ駆けつけ, 臨時的に彼から指揮権を取り上げ(軍規上,甚だきわどい越権行為でしたが) 第三軍をして203高地を奪わしめなかったら, 日本は日露戦争において滅亡していたかもしれません。 終戦後は明治帝の寵臣として,伯爵。 皇族の教育責任者として,学習院長に就任。 彼は実務においては全く役に立たない存在でしたが,長州閥の領袖・山県有朋に可愛がられ, そのおかげでまさに位人臣を極めるほどに栄達しました。 彼の美点は,軍人として申し分ない沈思黙考の佇まいと見た目の格好の良さ,そして無類の精神性を持っていたことでした。 そういう意味では,むしろ「軍人の鑑」であったのでしょう。 私邸にあっても,就寝するときも,軍服を脱がないほど美意識の塊の人でした。 それは,彼の独りよがりで過剰な自意識と蚤の心臓ほどの小心の裏返しにすぎなかったのですが。 明治帝が崩御するに及んで, 彼は生きる意味を失いました。 ほんとうにその言葉どおり, 生きる場を失ったのです。 明治帝なきあとに,己が独りで生きていくことなど,想像すらできませんでした。 なぜなら,彼の無能を赦し愛してくれたのは,明治帝ただ一人だったからです。 明治帝崩御の報に接し,「新年号は,大正だそうです。」と人から聞かされたとき, 彼はその人に質問したそうです。 いつから,大正ですか,と。 言うまでもなく,そのときはもう既に明治は終わっており,大正の世が始まっておりました。 私も,無能なくせに一本気で,陰湿なこだわりを持つ性格をしていますので, 彼の気持ちがわかる気がするのです。 複雑で,矮小で,陰湿で・・・自分以外に無感心な無慈悲で残酷な彼の気持ちが。 結局のところ,彼は,一番身近なたった一人の人間―自分自身―をも赦すこともできなかった,憐れな人だったのです。 でも彼の「殉死」は,最後の武士道精神の美談として,日本国民はもとより,世界中の賞賛を浴びました。 司馬遼太郎の筆致は,彼の「殉死」という行為に疑問符を投げかけながらも, 一人の男が一人の男の人生を見守るやさしさと, 世界に誇る武士道から悪名高い日本陸軍へ,日本人の精神が変遷していった過程に対する 屈折した愛憎を感じます。 ところで,今日は建国記念日でしたね。 僕は休日出勤でしたけど。 たまには,日本という国と,自分という一人の人間の精神のつながりを考えるべきなのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年02月12日 02時18分10秒
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