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テーマ:好きなクラシック(2328)
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仕事は一向に進まず、溜まる一方だが、 なんとか時間だけが「過ぎ去った」感じ。 なんとか耐えた籠城戦。 そして今は、打って出るべき戦力がない。 だれのせいでもなく、 僕自身のの力不足。 それ以上はなにもない。 何事もなかったかのように年末年始の休暇が取れるのは、 強いて言えば、不幸な幸運が重なったため。 つくづく僕は、強運の持ち主だと思う。 「運も実力のうち」と言うが、運は実力ではない。 そのことは、僕が一番よくわかっている。 しかし僕は、マルクス・アウレリウスの「自省録」のこの言葉に救われる思いがする。 人よ、君はこの大いなる都の一市民であった。 それが5年であろうと、100年であろうと、君に何の違いがあろう。 なぜならば、ここの法では、万人に平等が与えられているのだ。 暴君でもなく、不正な裁判官でもない、君をここに連れてきた自然の中で、 君がこの都から追放されるとしても、 なにを恐れるべきことがあろう。 それはあたかも役者を雇った将軍が、 彼を舞台から解雇する場合に似ている。 君は言う、 「しかし私は5幕を演じきれませんでした。たった3幕だけです。」 よろしい。 だが人生では、3幕でもひとつの完全な劇になるのだ。 なぜならば、終末を定める者はほかでもない、 かつては君をかたちづくり、今は君を解体する責任を負うた者なのだ。 君 は そ の い ず れ に 対 し て も 責 任 は な い。 だから満足して去っていくがよい。 君を解雇する者も、満足しているのだ。 こういう「後ろ向きな」言葉に敏感に反応する僕は、 結局のところ、自分の人生に対してさえも、完全に責任を持つことができない体質らしい。 ところで、ライヒ自身と「その仲間たち」が演じる 「18人の音楽家のための音楽」は、格別である。 オリジナルの者たちが持つ、 力強さと、やさしさと、 あたたかさと。 この音楽にハマってしまったら、なかなか抜け出せない。 この一年は、この音楽と共にあった。 今年もまた、「音楽」という得体の知れない力に支えられた一年であったと思う。 来年も同じように、「音楽」なしでは生きて行けそうにない。 来年、どんな「音楽」に出会えるのか、楽しみではある。 これからの人生の困難さも、「音楽」を味わうスパイス程度であればよいと願うばかりである。 最近、シーバス・リーガルが美味い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年12月28日 22時48分56秒
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