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テーマ:好きなクラシック(2328)
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連休を利用して大阪・京都・奈良に行ってきました。 これは東大寺戒壇堂(戒壇院ともいう。)。 GWだというのに、大仏殿の喧噪をよそに、参拝客もまばらで、ひっそりしていました。 大きいだけで美しさにかける大仏さま(大仏殿の建造物は好きだけど)などは横目に、僕が奈良で一番にお会いしたかったのがこの方。
広目天。 戒壇堂の四天王の中で、甲冑や武具などの面では最もひかえめな存在であるにもかかわらず、彼こそが、この日本史上最高の彫像である四天王の4体の中の、白眉なのであります。 そしてその所以は、この眼差しの鋭さです。 実際に拝顔した印象は、こんなに厳ついものではなくて、ごくごく自然に、昔からそこにいらしたのだな、と感じさせる佇まいでした。 ライトアップもされておらず、さして広くもない薄暗いお堂の中に、4人の方がそれぞれの方位を、今も静かに守っておられました。 ごくごく自然に、まったくの日常として。 四天王とは、北の多聞天、東の持国天、南の増長天、そして西の広目天の4人の天部である、仏の守護神のことをいいます。 戒壇堂の四天王は、それぞれが優れた彫像であるだけでなく、それぞれの武具・甲冑・姿勢・手足の動き・表情あるいは足元の餓鬼に至るまで、前後・左右又は対角のコントラスト・シンメトリー、若しくは四方の円のグラデーションをなしており、4楽章の交響曲のような統一感と安定感を持った傑作です(それについて詳細に述べようとするならば、拙い私の見識でも一つの論文が書けるかもしれない。)。 それぞれ、世俗的なご利益があります。 多聞天:知恵、財宝授与 持国天:国家安康、家内安全 増長天:商売繁盛 広目天:知恵、無病息災 多聞天と広目天とでは、「知恵」というキーワードで似ているようですが、多聞天には多くの知恵を得て共に利するという側面がある一方、広目天においては、広く世間を見、大らかな心で視野を広げて、正しい知恵を得ることが、結果的には無量の寿命を得るという意味があるということです。 それはさておき、私が広目天に魅かれるのは、そのドスのきいた目力、ではなくて、その表情の奥に感じさせる豊饒な知識と強靭な精神です。 それでいて、実際に会ってみると、好戦的な雰囲気などまったくなく、泰然自若としていて、むしろ、献身的なひた向きさがあり、指先と腰回りには、ハッとするような繊細さを感じました。 そういう人に、私はなりたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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