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こんばんは麗月です。
最近気持ちがささくれ立ってどうも落ち着きません。 自分の怒りや悲しみを放置してると相手の気持ちに寄り添う余裕がなくなり自分の気持ちすら表現出来なくなります。 自己開示出来ないとコミュニケーションが取れません。自分の芯が見えないと相手に伝える事が出来なくなります。例え一言のありがとうやごめんなさいでも口に出来なくなります。口にしたとしても上辺だけになるのです。 怒ってなくても話し方で「怒ってる?」と言われたり、自分の気持ちや意見を整理出来ないままうまく話せなかったり。 だから「書く」事で気持ちを整理したり、吐き出していたのかもしれません。 気持ちがざわついて泣きたい時、私は本を読みます。 主に人の機微を描いたものです。江戸を舞台にした人情話や現代を舞台にしたささやかな気持ちのやりとり。 江戸の時代ものは高田郁さんの『みをつくし料理帳』、宮部みゆきさんの『お初捕物帖』。どちらも女性が主人公でかたや上方育ちの女料理人澪、かたや江戸っ子町娘、千里眼のお初。どちらも食べ物屋を舞台にしてまして改めて食い意地が張ってる事に気付きました。(爆)どちらも漫画があるのも共通点。私は漫画版から小説へ移行した大人読者です。『みをつくし料理帖』シリーズは巻末に作中に登場した料理のレシピつき。読んで食べての二つの楽しみがありとっても癒されます。 現代ものだと村山早紀さんの『カフェかもめ亭』『コンビニたそがれ堂』。 この方は元々児童文学の作家さんですが、『コンビニたそがれ堂』は児童向けから文庫に収録される際に大人向けとして刊行された作品で、無くしたものが見つかる不思議なコンビニの話。ノスタルジックで少し悲しくて切ない話が疲れた大人の心に沁みます。 同じ作者の『カフェかもめ亭』も児童向けから文庫刊行時に大人向けへ移行した作品。広海さんが営むカフェ「かもめ亭」で交差する大人と子ども、元子どものお話。 実はこの二つは同じ町を舞台にしています。風早町と言いまして公園の桜の木に宿る女神さまがいたり(『あかね姫』シリーズ)人魚が喫茶店やってたり、山姥が普通に生活してたり…と児童書がたくさん刊行されています。 『かもめ亭』も『たそがれ堂』もそんな不思議の起こる町にありますが、起こる不思議は私たちにも起こりうる「巡り合わせ」レベルです。でもその巡り合わせの機微が涙を誘います。泣いて、少し笑ってすっきりして、大人の顔に戻れる本なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月23日 02時40分58秒
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