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ご無沙汰です。あきあきです。
さて。日記を更新しない7ヶ月。 痛かったです。 もう、ブログどころじゃないし、やめようかと思ったけど、 あっきーまいらぶ、今のところ日記数497。 500まであと3・・・・。 キリが悪い。 というわけで、ちょっと書きたいこともあり、久々に更新。ひっそりと。 森光子もこんな気持ちででんぐり返っていたのでしょうか。(違うね。) 4月。 まず、ショー介1歳になりました。おめでとう! (あっさり!笑) 手形はチビ介が幼稚園で作った手形にならって、私がヒヨコで作りました。 そして、チビ介年長になった始業式の前日。 私、椎間板ヘルニアになりました。 久しぶりの椎間板ヘルニア。 大学時代、入院したあの時も痛かったですが、 今回はなんせ子持ち。 ショー介は乳飲み子だし、ダッコしないわけにもいかないし。 本当に、大変でした。 日中、痛みがピークになり、歩けなくなってダー介に電話。 腰の痛みって、腰だけじゃなくて、腰が痛いと足も動かない。 動くのは手と口だけ・・・。 歩けなくなってダー介が帰るまでは文字通り這いつくばり・・・。 チビ介が助けてはくれたけど、ショー介は暴れまくり。 その頃ショー介のブームは「飛び降り」。 高いところを見つけては飛び降りるショー介を 追いかけられなくなって、ショー介も危険だし、 痛みでもがく私の上にダイブしようとしたりするショー介は 私自身も本当に怖かったです。 しかもショー介の大きい方のオムツ替え。 しないわけにもいかず、チビ介にも頼めず。 這いながらやりました。 ヘルニアだけでかなり書けるのですが、この辺にします。 が、これだけは言いたいのです。 ヘルニアはヘル(hell)がニア(near)だからヘルニアなんだって、と うんちくを披露してくれたダー介。 普段、「ダー介のウンチク、もうウザイ!」と有吉さながらに ダー介に毒づいている私ですが。 ダー介、その節は本当にありがとうございました。 歩けない私を抱え、たくさん助けてくれました。 立ち上がることさえ出来ない、着替えすら1人で出来ない私を介助してくれたダー介。 本当に、ダー介が夫で良かったです。 実家の母にも手伝いに来てもらいました。 ゴールデンウィークには帰省して、たっぷり甘えさせてもらいました。 ヘルニアはhell(地獄)が見えましたが、 家族の愛もたくさん見つけられました。 うふ。まとめた! そうそう。一番痛かった夜。全然眠れなくて。 ずっとダー介に手をにぎってもらいました。 その晩は、さすがの私が、ついに口もきけないくらい苦しんでいて。 ダー介は無口な私に一番ヘルニアの辛さを垣間見たそうです。 「あきが無口なんて・・・・」って。 私、どれだけ痛いかを表現するのに 「じゅ、じゅ、重機が腰を押しつぶしている感じ・・・」と 言ったまま泣いてました。 でも、今思うと、それも言わなくてもいいのにね。 それだけは言いたかったんだろうね。 さて、ヘルニアは入院せずに、手術もせずに、 薬とリハビリで治りました。 動きに制限のある生活で、育児や家事を納得いくまで出来ない自分、 いつあの痛みがくるかと不安を抱えたままの毎日。 正直に言えば、そして、今だから言えば、 ちょっと辛かったですが。 子どもがいるので大変な反面、立ち止まってはいられない。 落ち込む間もないくらいだったので、それは かえってよかったのかもしれません。 そして、5月にはショー介が流血騒ぎとなったのでした・・・・。 母の日なのに。 つづく。 本当は一気に私の33歳の誕生日、そして今日のびっくり出来事まで 書こうと思いましたが、腰が腰だし、 少しずつにします。 傷だらけの1歳児の話は次回です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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