アンカラ空港を利用するのは、およそ10年振り。
到着時に見たところ新ターミナルが建設されているようではあったが、私が着いたのは、荷物用ベルトが2台しかない、小さく狭く見覚えのある昔ながらの国内線ターミナルであった。
ショルダーバッグひとつ。他に何ひとつ荷物を持たない私は、まっすぐ到着口を抜け、すぐにHAVAS乗り場へ向かった。いや、「向かう」までもない。出口のすぐ斜め横がHAVAS乗り場だった。
乗りこむ前に車掌にどこまで行くか訊く。すると、ウルスを経由して、その後はまっすぐオトガルに行ってしまうとのこと。
では、ガーズィオスマンパシャに行きたいのだが、ウルスからはどう行けばいいか?と尋ねると、タクシーしかない、と言う。
私はそれ以上は追及せず、諦めてHAVASに乗り込んだ。車掌が回ってきて運賃9.5YTL(約850円)を払う。
飛行機を降り立った時は、アンタルヤに比べ、さすがにヒヤリとした空気を感じたが、バスの前方にある温度表示は21℃を指していた。
空港周辺は、ようやく春が来たばかりという早春の風情。若葉を出しはじめた樹々の緑は柔らかく、タンポポの黄色がまぶしく光っていた。
HAVASはおよそ30分で、ウルス地区にあるHAVASの発着ターミナルに着いた。古いガイドブックではガル(鉄道駅)に着くとあったが、現在発着はすべて、こちらのHAVAS専用ターミナルになっているらしかった。
バスの降車場のすぐ横にはタクシーが何台も客待ちしていたが、私は大通りをバスやドルムシュが行き来しているのを見ていたので、路線さえあればドルムシュかバスで行くつもりだった。
が、自分が今どの辺りにいるのか、実は皆目検討はついていなかった。落ち着いて考えれば、地図を開いてHAVASの人に訊けばいいだけのことだったが、先を急ぐ私は、とにかく訊きながら行けば辿り着くと、さっさと通りに出てしまったのである。
大通りに出てバス停で人に訊く。向かい側を指差され、大通りを反対方向に渡る。
2~3台ドルムシュを停め、ガーズィオスマンパシャに行くか?と訊いたが、皆首を横に振るだけだった。
ふと横を見ると、1台のタクシーが留まっていた。ためしに料金を訊いてみよう。
ガラス窓越しに合図をすると、運転手が窓を下ろした。
「ガーズィオスマンパシャまで、あなたならいくらで行く?」
「ガーズィオスマンパシャの、どこに行くんだい?」
「日本大使館まで。ちょっと待って・・・住所は」
ショルダーバッグから住所を書いたメモを取り出し、運転手に伝えると、運転手は一瞬考えて「12(YTL、約1000円)」と答える。
私は、高いアンタルヤのタクシー料金を考えて、20~30はいくだろうと思っていたから、正直拍子抜けがした。
「な~んだ。それならタクシーで行きましょう」
私はタクシーに乗るときの常として、乗り込むと同時に積極的に運転手に話しかけた。これは、こちらが外国人と見てメーターを勝手に操作したり、足元を見たりする運転手をけん制するために自然に覚えたテクニックである。
アンタルヤのタクシー料金の高さ。1kmで3YTLは取ること。外国人と見ると夜間料金にするけしからん輩がいること。(これを真っ先に言っておくと、まずズルイ真似はできない)日本大使館まではいったい何kmくらいあるのか?
ここまで言うと、運転手は「よかったら、メーターにしてみる?どっちがいい?」と訊いてきた。
私は「どちらでもかまわないけど。そうね、私、安かった方の料金を払うから、やっぱりメーターにして」と答える。
運転手はメーターを回し始めた。
たぶんアンカラには、アンタルヤほど悪い運転手は居ないんだろうなあ、と思う。
タクシーは、五重の塔?が見覚えある韓国庭園の角を曲がり、アヌットカビルの入り口前を通り、南下していく。国会議事堂の前を通り、「大使館通り」を抜け、閑静な高級住宅街の坂道を登っていく。
赤い看板が印象的な「ワシントン・レストラン」の前を通りすぎたところで運転手はブレーキをかけた。そこにいたタクシー運転手に日本大使館はこの辺だったかと確かめている。はたして、大使館はその1本横の道沿いにあった。
タクシーは結局メーターの方が安く、10.5を払う。
日本大使館は、予想に反して何の特徴もない、ベージュ色のシンプルな箱型の建物だった。旗も立てられていない。が、ソメイヨシノや八重桜など、何本かの桜の木が、そこだけ日本を象徴していた。
警備員室の小さな窓からトルコ人警備員の顔が覗く。日本語はほとんどできない様子だった。用件を咄嗟にトルコ語で説明できず若干慌ててしまったが、電話越しに大使館職員の人と話してくれ、ドアを開けてもらう。
名簿に記入し、ビジター・カードを胸につける。セキュリティ・チェックの後ドアを通り、ゆったりとした公用車用ポーチを抜けて、玄関をくぐった。
そこもまた予想に反して小さく、小さな待合用の椅子とテーブルが置かれた狭いホールがあるのみだった。人っ子一人いない。右手にはドアの向こうに図書室。目の前に、ガラスで仕切られた手続き申請用のカウンターがあった。
呼び出し用ブザーを鳴らす。すぐに後ろのスライドドアが開いて、電話で応対したと思われる女性職員の方が姿を現した。
「昨日お電話させていただいたアンタルヤの・・・・」と説明を始めると、「ああ」と合点がいった様子。
早速、在留届をはじめ、全部で4枚ほどの申請書類を手渡された。
今回必要としている書類では、現住所と現住所の日本語表記が重要視されるため、疑問だった点をあらかじめ確認しておく。
椅子に腰掛け、早速書類の記入を始めた。
ところが・・・・。
日本の公式書類の記入法にすっかり疎くなってしまった私。
女性職員の方が記入見本をいくつか渡すのを忘れたらしく、私も見本はないと思って訊かなかったので、平成何年か、宛名を誰にするのか分からないのはもちろん、各欄にどんな書き方をすべきか、時々よく分からなかったりした。
とりわけ「書類の用途」や「提出先」「申請理由」などが元々よく分かっていない私は、国際電話で日本の担当の人に訊く始末。その間、手続きに関わっているふたりの人物と一緒に居るらしい夫からは、何度もどうなっているかの催促・確認の電話・・・。
極めつけは、バッグに入っていたボールペンを何の気なしに使ってしまい、すべて記入した後で、「証明書は、青インクではなく黒インクなんですよ~」と言われ(←最初から言ってくれれば・・・)て「あっ」としたり。これらは当然一から書き直し。
そんなこんなで、すべての申請書類を提出し終えたのは、到着から1時間も経った頃だった。(←たかが書類申請に1時間もかける間抜けが他にいるだろうか?)
書類の受け取りは、4時か、4時半頃という。事前に「朝提出して、夕方受け取り」とは聞いてはいたが、軽いショックを覚える。なぜなら、夕方5時のイスタンブール乗り継ぎ便に間に合えば、アンタルヤには8時15分に着く。娘たちにはエルカンと一緒に迎えに来てもらえるし、自宅には9時には着き、娘たちの就寝に付き合うことができるだろうと、淡い期待を抱いていたから。それを逃せば、11時に着くイスタンブール乗り継ぎ便か、10時半に着くアンタルヤ直行便になる。
書類の発行を日本で今か今かと待っていた夫は、いつもながらの単純思考。
区役所並みにスピード発行と思っていたらしく、書類を受け取ったら私に近場からFAXしてとしつこく繰り返して嫌がられていた。(←近場っていったって、海外へのFAXに1枚10ドルも取りそうな高級ホテルくらいしかないんだよ~!)
受け取りは日本の深夜になるから、それなら早朝でも同様。アンタルヤの自宅に着いたらすぐにFAXすることを約束し、隣で待ってる人たちにも納得してもらい、ようやく諦めてもらったのだった。
書類申請だけで大いに緊張し疲れた私だったが、一歩大使館を出ると、気持ちが少し晴れ晴れとしてきた。
大使館の警備員に、近くをバスかドルムシュが走っているかを尋ねる。ローマ浴場方面に行きたいと告げると、ウルス行きのドルムシュなら目の前を通るし、ウルスで降りてローマ浴場は徒歩10分くらいだと耳寄りな情報。
はたして、すぐにウルス行きのドルムシュが通りかかった。
ドルムシュ、ミニビュスならお手のもの。
私は、まるでアンタルヤのミニビュスにでも乗るような気分で颯爽と指を上げた。