もう何日か、いや何週間、何ヶ月か、朝の時間帯がとても辛くなっている。
普段どおり、娘たちに朝食を食べさせ、学校に送って行き、自宅に戻る。
さて、今日やらなければならないことは・・・
今日は・・・
今日こそは・・・
胸が重苦しくなり、このまま自宅で1日のんびりできれば、どんなにかいいかと思う。
「家事があるから、用事があるから、今日は現場には行けないかも」そんな言い訳作りをしたくて、洗濯機を回したり、掃除機を掛けたりしてみる。罪悪感で胸が一杯になりながら。
「いや、施主たるもの。とたえ仕事がなくとも1日1回は顔を出すべき」
胸を塞ぐ雲を少しばかり追い払って、カレイチの地所まで出掛ける、そんな毎日。
建築の方の進捗状況を書こうにも書けない。書くことは、あるといえば相変わらずありすぎるが、とても書ける精神状態にない。順を追って書こうとすればするほど、これまでの経緯と度重なる失敗、不運。夫と繰り返した諍いなどを思い出して、胸に鉛が詰まったようになる。
でも今日は久し振りに、ふりだしに戻り、そのお陰で心に小さな晴れ間がのぞいたある件について、込み入った内容ではあるが、なるべく簡潔に(インシャッラー)書いてみようと思う。
トルコ在住でない方には聞きなれない言葉ばかりだと思うので、疲れるかもしれない。
読める方だけどうぞ。
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建物の外殻工事を終えた私たちがまず行うべきは、「イスカン」手続きである。
「イスカン」とは「居住・定住(許可)」というような意味で、建築の終わった建物が法的に適し、またプロジェ通りに完成しているかどうかが審査され、クリアしているとみなされれて初めて、建物の使用許可が下りるもの。
イスカン申請のためには、様々な条件と書類が揃ってなければならない。例えば、電気設備を証明するエレクトリック・ラポル、下水設備を証明するカナリザスィヨン・ラポル、火災時対策用のアラームや消火器の証明写真、構造検査業者による業務終了報告書などなど。
私たちには、プロジェ上の大きなミスを補うために、イスカン取得後さらに部分的に改造する仕事が待っていた。「プロジェ通りであらねばならない」イスカンというハードルを飛び越えれば、それが可能になる。
なので、外殻工事が終わり次第、イスカン手続きの申請に移りたかった。
イスカンの手続きは、もう昨年秋からターキプチに頼んであった。ターキプチとは、直訳すれば「追跡者」で、日本でいえば行政書士にあたる職種だろうか。
電気や水道の開設申請、タプ(不動産権利証書)の「追跡」や、イスカン申請などの仕事を主に手掛ける。
私たちの依頼したターキプチは、実はコムシュ(隣人)である悪名高きギュルスン夫人の建物のイスカンを担当した人物。ギュルスン夫人の家に来ていた彼を夫が呼びとめ、例によって後先考えず、「では、あなたにお願いします。よろしく」といってさっさとお願いしてしまったのだった。
イスカン申請をするにあたって、まず問題となったのは「保険」のことだった。
建築現場で働く職人たちが、間違いなく保険(SSK/社会保険組合)に入っていることを証明する必要があるのである。
これについては、日本の方なら首を捻られるのではないだろうか。現場で働く職人たちは、一般には工務店や建築会社に所属する人間。保険は会社側が用意するものであって、施主にその負担義務はないと思う。
が、業者を通さず自前でやろうとした私たちは、自ら「雇用主」として職人たちを保険に入れてやる―実際は名前だけ借りて、数ヶ月間保険料を払ったことを証明すればいい―必要があった。
が、実はこの保険の件については、基礎工事を始める際に聞かされて知っていた。そして、法律で決まっていて逃げられないことならば、早速始めよう、ということで、その頃現場で働いていた4人の人足のIDカードのコピーなどを集めて、建築家とつるんでいるの元で働く手配師オズギュルに保険手続きを始めてもらったはずだった。
保険料がいくらか出してもらうのだと、そのあたりまで私は夫から聞いていたので、とっくにこの手続きは終わっていると私は思っていた。
が、手続きなんか何ひとつ行われてなかったのだった!夫を問い詰めると、「保険料を払った覚えもないから、何もやってないでしょう」とのうのうとのたまう。
まあ、過ぎてしまったことは仕方ない。今から始めても4~5月頃までかかるだろうから、すぐにでも始めようというわけで、このターキプチ、シェノール氏に保険申請からお願いすることになったのが、昨年の11月末頃のことである。
シェノール氏は、保険の申し込みにまず750YTL(約6万8千円)が必要で、ムハセベジ(会計士)に至急渡さねばならないといって、このお金をかなり急ぎで私たちに請求してきた。
このとき申し込みが行われていたとしたら、1ヵ月後から毎月決まった額の保険料を払い込まねばならないはず。
毎月の保険料がいくらになるか、私たちは間をおいて何度もシェノール氏に確かめようとした。彼は、「まだ出ていない。来週には出る」などと答える。翌週電話すると、「まだ出ていない。あと2~3日」などという。2~3日後に電話すると、「法律が変わるかもしれないから、その結果が出るのを待ってる」などという。
私たちも、他にいくらでも懸案事項があったので、ついつい「思い出せば電話する」程度になっていた。
年が明け、2月になり3月になった。さすがに「これはおかしい」と感じ始めた私たち。
今年の事業スタートは諦めざるをえないことも、その頃決断した。なので、「大至急」というわけではないが、イスカンを取った後にしなければならない仕事がたくさんあるので、そうそう悠長にもしていられない。なによりルフサット(建築許可)を取得してからイスカンを取得するまでに許されている期間は2年間。こんな風にズルズル引き伸ばされているうちに間に合わなくなっては大変。
そして同時に、間抜けなことに気付いた。750YTLのマクブス(受け取り)をもらってなかったことに!
さてそれから、シェノール氏への電話攻撃を私たちは始めた。まずは750YTLのマクブス。そして保険の件はどうなったかを催促するために。
ところがシェノール氏は、「持ってくる」「明日伺う」「今日立ち寄ったけど、誰もいなかった」「葬式があって来れない」「どこどこだから、アンタルヤに帰るのはいついつになる」そんな言葉を使い分けながら、ジリジリと先延ばしにし続けた。電話すれど、切ってあったり、応答しない日も続出。
私たちは遅まきながら戦法を変え、「では、あなたはお忙しそうですから、私たちが直接ムハセベジに聞きましょう。住所、電話番号、名前を教えてください」とムハセベジの連絡先聞き出し作戦に出たが、これにはシェノール氏が怒って拒否し、「ご主人に電話してもらってください。そうじゃなければ教えられない」と言い出す始末。
ある日、ギュルスン夫人のところへ来たと思われるシェノール氏を見つけたエルカンが、すかさず呼びとめ問い詰めてくれた。すると、やっぱり!推測したとおり、保険手続きは何一つ始めてなかったのだった!