流した涙のわけが少しわかった気が・・・
『博士の愛した数式』をもう一度観ようかと思いましたが、娘にまだ早いと言われたりなどして、原作をもう一度読んでからにしようと思い直しました。実はこの一週間、時間ができるとついこの映画のことを考えているのでした。何故悲しくない涙があふれたのか?どうして余韻がこんなに残るのか?未消化の面があるのに、どうして満足してしまっているのか?映画を今まであんまり観ていないから?(年に多くて5本、少なければ0でしたので)かもしれませんが・・〔5本というのは昨年です。夫婦どちらかが50歳以上で2000円という有難いキャンペーンのおかげで、映画館に足を運ぶことができるようになりました。できればずっと続けて欲しいです。というか、全体的にもっと安くなってくれれば、と思います。〕わかったような気がする、自分でなんとなくこうじゃないかと思うことは「子どもを見る目線」のあたたかさ、広さ、大きさです。子供の頃、こんな大人が回りにいてほしかった、とか・・いや、今の子どもたちにとっても、こういう大人であふれていたら、理不尽に扱われて(言い過ぎかも?)悲しい思いをする子どもたちがいなくなるのでは?とか・・・映画のメッセージとして、勝手にそう受け取っているだけなのかもしれません。その余韻に浸っている時間が幸せなのかも???