こころの自由は一番大事では・・・
何を思うか?その思いはどこから来たのか?その思いは正しいのか?正しくないのか?正しいとすればそれは何故なのか?正しくないとすれば、それは何故?正しくない思いをもし、毎日のように思っていたらどうなるか?その正しくない、という評価は誰がするのか?たとえば、わたくしなぞは、毎日のように人はみな平等だ、誰も差別されてはならない、従って天皇も差別されない権利を持っている天皇制はないほうがいい、人間として皆平等なのだから・・・外国人も日本人も人間としてなんら区別する必要を感じない、なので、殊更に国歌を歌えといわれたり、国旗に敬礼しろと言われても、何でそれを強制されなくてはならないか?と考える・・人にそれを強制するのはよくないことだと考える・・・習性があります。それで今回の最高裁の判決「君が代の伴奏を命じることは思想の自由を謳っている憲法に反しない」だから都教委の処分は妥当ですと!最高裁の判決だから、期待はあまりしてませんでしたが、やはり、とがっかりです。最高裁が一番権力に近いといつも思っているのですが、今回はまたその思いを新たにしました。国家にしてみれば、由々しきことを毎日思っている私。でも、国家より、地球の明日の方が人間にとって大事だという気持はどうしようもありません。国家より、一人一人の人間の方が大事だと思う気持をどうすることもできません。「千の風になって」という歌にならって、私も言いたい。「歌をうたうことを強制しないで下さい。そこに心はありません。」(なぜ天皇制の永久的な存続を願わなくてはならない?それは苦しみの連続です。終わることのない差別の歴史になります)「旗に敬礼することを強要しないで下さい。そこに人はいません。」