ごうがわく
ごうがわく=業が湧く?という言葉、方言かな?こんなに愛情深い”ごうがわく”という言葉を聞いたのは初めてでした。5月に亡くなられた小学校の時の先生の奥様の言葉です。「しのぶ会」の前に教え子10数人で先生のお宅に伺い、奥さん(と呼ばせていただきます)のお話をお聞きする事が出来ました。初めてお会いするのに、全然そんな感じがせず、気さくな方で温かく迎えられました。驚いた事に、自己紹介すると、みんな、「あー○○さん」とその名前をご存知なばかりでなく、出身部落や当時のエピソードなど細かく覚えておられるのです!まるで、”先生の奥さん”でなく、直接の”先生”だったかのような錯覚を覚えるほど・・昔ご自身も教師であった方らしく、シャキっとされてて、戦争の話、お二人の出会いの話、大勢の教え子たちの話、いろいろうかがった中で、”ごうがわく”という言葉が・・まだ、未だに遺影に語りかけるのは「何で?どうして?」・・・ばかり。「百まで生きるって言ったのに・・・・ごうがわいてなぁ」と。元気で出かけて、その先での突然の出来事。その日に限って自分にもどうしても出かける用事があり、先に家を出るのを見送ってくれたのが最後とか。日頃、『延命治療と介護保険を使うのだけはやめてくれ』と言われていたのがその通りになった・・とのことです。未だに腑に落ちない、と何度も仰っておられました。「どうしても腑に落ちんのな・・」その気持が痛いほど伝わって来ました。元気でぴんぴんしていて、最近の検査でもどこも悪くない、とのことだったのに・・遺影に語りかけるつらさ・・想像するだに、無念でなりません。奥さんの腰がしゃんとしているのは、腰を痛めたとき、決められた運動をちゃんと毎日していたことと、先生が毎日!背中から腰にかけて指圧?をしてくれたこと、とで治ってしまった!というのですから、どれほど、お二人の愛情が深かったか、がわかろうというものです。後で別の方からうかがった話では、病院の院長をしておられる長男の方が、先生が運び込まれた病院からの電話を聞いた時、『呼吸器ははずしてください』と即座に応えられたのだとか。普通は家族が駆けつけるまでの間、息があるうちに家族に会わせてあげたい、との理由からはずさないもののようなのですが、そんなわけで、家族のどなたも、亡くなられてからのご対面となったようです。見事な親にして、見事な息子あり、と感じ入りました。(でも、奥さんとしては、会いたかったというのがあったのでは?とも思えて、その辺は複雑な思いも・・。)そうそう、行きのバスの中では(中央高速です)会社での不平等な扱いに何と言って申し立てをしようかとそればかり考えていましたが、帰りのバスでは、先生ご夫妻の愛情物語や、同級生らの頑張りに胸を熱くしてそのことばかり考えていたのでした。「すっかり前向きになって帰って来ましたよ~」とご心配下さった皆様にご報告したいと思います。ありがとうございました。――「千の風になって」は心の癒しになるのでしょうか、先生の祭壇に飾られていました。ある方から葬儀の当日に手渡され、家に帰って開けてみたらこのCDだったそうで、私達にそのお話をされる様子からみて、そう思いました。――