貧困率
OECD諸国の中で一人親の家庭の貧困率がワースト1!とかいう不名誉な数字を帰りのラジオでまた聞きかじりました。それに対し、対策が必要かどうか?なんて、考えるまでもない、と思っておりましたところ、「日本は資本主義国なのだから、貧しい人がいて当然。何か国が対策をしようなどというのはまるで社会主義のようでおかしい」という意見がよせられ、びっくりしました。ラジオに出演されていた方は「北欧の国々は日本よりよほど国による対策がとられているが、まったく社会主義の国ではなく、りっぱな?資本主義国」と反論されてましたが・・・貧しい人は社会によって作られる、貧富の差が生じるのは確かに資本主義だから、かもしれません。しかし、それが一人一人の努力の差か?といったら、そうとも言い切れませんよね。(卒業の年がたった一年違っただけで、売り手市場から就職氷河期に、などというのがいい例ではないでしょうか)資本主義のままでも、政策によっては「子供の教育には差のないよう」に、ある程度できるのかもしれませんが、それも限度がある、と思います。そんな「ある限度内の小さなこと」さえも、社会主義と名付けたい方たちの神経がわかりません。実は社会主義というのは、社会が成り立つように、という意味で言うなら、そんな貧しい内容のことではないように思います。ラジオでは盛んに、国がやっていくために、というような言い方をされていましたが、国、ではなく、社会、と置き換えた方がいいように思いました。他の国の人も、同じ地球の住人なのだから、国益だけ求めればいいってものじゃない、社会全体、地球全体のことを考えるのに、<国という枠>でなく、社会という<人間枠>で共に生きる方策を編み出していけたら~と、今日も考えています。