沖縄慰霊の日
40年前の今日、通っていた高校で生徒総会があり、議題はずばり「70年安保」でして、日米安保条約の自動延長がどうとかで、どういうわけか、紛糾。総会は初めて流会となり、1週間後にやり直し、と相成りました。なぜ日付まで覚えていたかわかりませんが、当時の何も知らない高校生としては、「流会」なんて(そんなのがあることも知らず)だいそれたことのような気がして今にして思えば、ストか何かを決めたくらいに興奮したような記憶です。それまで政治の向きの話なんてしたこともなく、社会的な問題に対して何か物を言うなんてこともなかった私たちが、突然、この問題をつきつけられ、あーだ、こーだ、とクラスで討論をしたことも初めての経験でした。というか、そんなことがなければ、その手の話し合いなんて何もしないまま、高校生活を終えていたかもしれなかった、のですね。ほんの一時間ほどの話し合いでしたが、楽しかったのを覚えています。普段考えていないようで(失礼!)実はみんないろいろ考えているんだな~とわかりましたし、もっといろんな意見を聞きたいと思ったし、もっと深くつっこんで話し合いがもてたら・・・と思ったことでした。<安保がないと不安という立場と、安保反対の立場。前者は当時少数派でした。「60年安保」は知らなくても、安保反対という声はまだ多くあったのです。どちらも言いっぱなしで終わってしまったという印象ですが。>この日が沖縄慰霊の日だと知ったのは随分後のことです。管首相が日米合意は守るしかない、というようなことを言いに沖縄に行ったみたいですが、今からでも遅くない、「沖縄の理解が得られませんでした」とか、「沖縄に海兵隊の基地はいらない」とか、「日本にアメリカの基地はいらない」とか、言ってもいいんじゃないかと思います。政府同士は敵対(?)していても、国民同士、労働者同士は敵対していないのですから。(政府同士でも実は互いに補い合っているのです。互いに相手の方が軍事力が上だと言い合って、いくらでも軍事費をつり上げられる・・・軍事産業は大もうけ・・)地球が危ないというときに、いや、地球が危ないのではなく、人が住める地球でなくなっていく危険が迫っているかもしれないときに、軍事費つり上げ競争をやっている場合ではないと思うのです。