山本太郎さん、森永卓郎さんの討論?を聞いて
昨夜、偶然つけたテレビ番組で、原発について、お二人が討論?されてました。「脱原発」「段階的脱原発」と、どちらにしても脱原発なのですが。その中で山本さんのご意見には原発のコストが安いというのは廃炉の費用も含めてのことか?決して安い発電ではありえない、しかも安全性に非常に問題がある、事故の危険性も去っていない、将来の子どもたちを守らなくてはならない、加えて原発を動かしている人たちは(事故の責任もとっていないしとはおっしゃっていなかったかな)そのおいしい利権にむらがっている・・・等々説得力があるように伺えました。また森永さんの意見にも、電力のない貧しい中でも死者は出る。電力がなければ産業が成り立たす、産業が成り立たなければ雇用もなく、労働者が困る、今すでにある原子炉については耐用年数までは動いてもらった方が人々にとって負担が減る、など、そうかな、と思える部分もありました。しかし、双方にそれぞれ、言いたいな、と思ったことは山本さんには、今の社会から原発さえ除けばそれでいいのか?それだけ問題にすればいいわけではないのでは?と言いたい・・・もっと言えば、脱資本主義!の方が未来の子どもたちのためになるのではないかしら、と思いました。「利権そのもがない」社会であれば、原発がここまで危険であったかどうか?という疑問が実はどうしても湧いてしまいます。 そもそも、安全確保を怠った最大の理由が、「もうけ」の追求に邪魔になるということではなかったのか?と、利権のない社会=脱資本主義の社会=共生の社会というイメージ・・・森永さんには、 産業が成り立たなければ雇用もない、というのはやはり資本主義を前提とした考えではないか?なんちゃって・・・儲け度外視した社会では今とは全く違った見方ができるような気がします。と言いたい。みんなでつくる社会・・・未来の子どもたちが安心して暮らしていける社会を望むとき、日本だけの安心はないし、争いの種を除くことが必要だし、あらゆる垣根を取り去った人間同士の共生の社会を目指すことは不可能ではないのではないかと改めて思うのです。