高橋源一郎さんの今日の論壇時評
朝日新聞の朝刊に「入学式で考えた ぼくには常識がない?」との題で掲載されていました。小学校の入学式で、校長先生が誰もいない演壇に向かって深くお辞儀をする姿は変だと思ったり、「国歌斉唱」の段になって憂鬱になったことなど。何故憂鬱になったのか、とそこで気づいたのが、「国歌」はこどもたちのための歌じゃない、入学式はこどもたちのためにあるのではない、ということ、だったそうです。そうか、と私は納得。そこで私が急に思いついたのは、そう言えば、戦前の教育は『少国民』を育てるためのものだったっけ、それと同じなんだな、ということでした。高橋さんより飛躍しているかな?昔、こどもが卒業するとき、ある先生から、本来は卒業式は「卒業証書授与式」で、主体は学校であり、卒業証書を渡すことが式の目的と言われたことがありました。子供の人格は二の次かい、ととっても淋しかったことを覚えています。