また朝日の記事ですが・・
『生きづらい世を生きる』と題して『逝きし世の面影』という本の著者 渡辺京二さんへのインタビュー記事。「資本主義の進化が共同社会を壊したまだ成長が必要か」という副題で「たとえば、江戸時代の長屋ではお隣さんに子供を預けて出かけることが出来たが、今ではお金を出して、ベビーシッターをやとわなくてはならない、など、共同社会では無償で支え合ってきたものを、資本主義社会は商品化してしまう」「生産能力を我々は十分に持っているのではないか?これ以上の成長が必要なのか?」という中身はかなり共感できる部分が多いのですが、(ほとんど端折ってます)一つ、最後の国家に関する人の関わりについて、「仮住まいをしている大家さんには義理をたてなくては」という言葉だけは賛成しかねるところです。国家に対する、無条件?の信頼感がそこにあるのかもしれませんが、国家ほど、無条件に信じてはいけないものはない、といっても良いくらいだと思います。お国は間違うことがある、眼を光らせていなくては、たとえ間違いだと思っても、お国の言うことに逆らえなくなる、と思っていた方がいい、と。国家はあくまで、人のためにあってこその国家。国家のために人が何かをしなくてはいけない、のは、その成員のためになること、のみであり、他国との戦争に駆り出すなんてことはあってはならないと考えます。ムロン、そこまでのことは仰ってはいませんが、義理の中身が気になった次第です。