まだまだ子育てに厳しい社会
ネットの紹介でベビーシッターに預けた男児が死亡した件で今日の朝日新聞に野田聖子自民党総務会長が昨日都内の講演で述べた言葉が載っていました。「私もネットで探した」とはその記事の題です。(今すぐ、とか、夜間でもとか、病児でもとか)必要な預かりのシステムが整っていれば、誰もネットで探す必要はなく、そういう経験のない人が母親を責めるのはやめて欲しいといった内容で、そうした環境を整えることの必要性を訴えるものだったのだと思います。昨日の朝日新聞の投書にも「ファミサポに助けられて」と題して一人の主婦の方がご自分の経験から「ファミサポの拡充と利用を提案したい」と述べておられます。我が意を得たりの思いがしました。今ファミサポの一当事者として携わっていられるのも、こういうシステムを立ち上げて実行してくれている行政の下請け?的組織のおかげであり、そこには国から補助があるようですが、その補助が、決定的に足りない!ということは言えると思います。というのは、私の地域のファミサポでは、病児はもちろんのこと、お泊まり保育もお受けできないことになっています。この事故?事件?があったと知ったとき、ファミサポはなんでお泊まり保育が出来ないんだろう?と残念に思ったのでした。(僭越にもまず最初は、“私が預かりたかった”と・・)専門の看護師や保育士等々必要になる、ということだったら、どうしてもその人件費なり、場所代なりが嵩んでしまうそこまでの補助は税金で賄うわけにいかない、ということなのでしょう、か? ―子育ては一から十まで 個人的な話―という前提はもうかなり崩れてしまっていると思うのに、まだまだ、仕事をしているなら子は産むなとか子どもを生んだら仕事をするなとか変な話がまかり通るような社会でもあります。(みんながみんなそうしたら社会はどうなる?)一体子ども達を健全に育てる責任が社会にはないのでしょうか?子どもが社会の一員である以上、社会がその支えにならなくてどうするのでしょう。昨日の投書の締めくくりは「子育ては社会で支えなければいけない時代に来ている。国は安心して託児が頼めるファミサポを拡充し、子育て世代が利用出来るようにすべきだと思う」となっています。←大いに賛成!!ファミサポという形でなくても、いつでも、どんな状態でも必要なとき安心して預けられるそういう環境を整える事が社会の責務だと思います。田村厚労相が他人事のように現状がどうなっているか調べたい・・かなんか言ってましたが。言ってる場合じゃなく、国がちゃんと責務を果たさないからでしょ!自分の仕事じゃん!とつっこみたくなりました。