以前の日記の訂正というか付け足し、みたいな
以前、すべての赤ちゃんが幸せに生まれてほしいと書きましたが、その時は’中絶反対の叫び’に対して一言言いたいという気持ちが強く、そこに重点が置かれてしまった、となんだか反省したくなりました。50年先、100年先に生まれて来る赤ちゃんがみんな幸せに育ってほしい、と思うとしたらそこに無理はない、という気がします。その頃の世代にまで争いの火種を残さないようにできれば不可能ではない♪♫と。少し前までそんな考えでいました。でも、100年先にできるとするなら、何も100年待たないでも、今から、この先に生まれて来る子どもたちのためにできることは何かないものか?考えることの方が大事ですよね。いや、何もしないでいたら何年たってもそこに近づくことすら覚束ないわけでして。それにしても、そのために何をしたらいいのか、さっぱり考えが及びません。何かできることはあるはずだ、ともがいているだけの現状が情けない限りです。関係は直接はありませんが。今度こども庁ができるかと思ったら、できるのはこども家庭庁だそうで。はじめはなんでわざわざ名前を変えるのか、位にしか思わず、認識が甘かったようです。どうも子育ては家庭の責任ということを強調したい方々が、社会の責任を軽くするために画策したものとしか思えません。子育ては’社会全体’で、’親も子も社会で守ろう’、という社会を目指さなければ、こどもを守ることはできないし、そのためにも誰もが喜んで子育てできるような社会環境、なかんずく労働環境がなければいけないと思います。教育費の負担も親にばかり求めるのでなく、社会が大部分を負担するとか。そうそう、これから生まれるこどもたちばかりでなく、今まさに育っているこどもたちだって、みんな幸せに育ってほしいと思います。し、こどもたちにはその権利があるはずだし、そのために大人は踏ん張らなくてはいけない、と思うのです。