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カテゴリ:大村の風景
先日の蕨取りから二度目の蕨取りに行ってきました 先週行った時はまだ桜の蕾が膨らんだ所だったのが 今日は、もう満開 此処に登ってくるだけでリフレッシュ出来ます 日曜日とあって午後から出かけた私たちは皆さんが採ったおこぼれを頂いて来ました(笑) 収穫は、以外にも前回と同じ位だから良しとしましょう 暖かくなってそろそろ夏野菜の準備をしなくてはと 昨日は、芽キャベツとブロッコリーを抜いて 耕して貰いました そして苦土石灰を撒いて混ぜています 一週間後は、堆肥を混ぜて此処にキュウリを植えようと思ってます 今年も頑張るぞ・・・・と気合は十分ですが・・・・?・・・・どうなる事やら(笑)
さて前回の続きで遅くなって申し訳ないですが こちらの桜も見事なので紹介させて下さい 大村市玖島2丁目にある護国神社 円融寺の跡地で、戊辰戦争以降の戦死者の霊が祀られ、 境内正面には大村藩追遠碑や戊辰戦争戦死者の碑、飯山の碑などがあります 鳥居を潜ると左右に池があります 左が「日の池」 右が「月の池」 花びらが落ちてこれもまた綺麗でしたよ 石段を登る前に 登って下を見るとまたいい感じです 裏の方へ行くと旧円融寺庭園(国指定名勝) 旧円融寺庭園 天台宗松林山大乗円融寺は、承応元年(1652)4代藩主大村純長により、3代将軍徳川家光の位牌を祭る ため創建された寺院で、その後歴代将軍の位牌が祭られ明治元年に廃寺になりました。純長は幕府勘定奉 行伊丹勝長の4男で、3代藩主純長の養子となりましたが、幕府の正式な許可が降りる前に純長が亡くなった ため大村藩は在亡の危機を迎えました。将軍家光の栽可により相続が許され、藩の存続がなされたため、そ の恩義に報いるため、特に幕府に願い出て建てられたものです。本堂及び書院の裏庭として造られた枯山水 の石庭が残されています。廃寺になった後、石庭はツツジなどに覆われ、その姿を満足に表す事が出来ませ んでしたが、昭和44年東京農業大学に在学中の大村出身の一学生により発見された事から、庭園研究科の 目に止まり、その価値が全国的に認められました。山の斜面を利用して、これを築山風に見立て高さ8メート ル・幅50メートルの斜面に青石を取材とした約400個もの自然石を使い三尊方式の石組を基本とした立石が 配置されています。中央部および左側には、数段の水落石を用いた豪華な枯滝があります。水落石には白色 の石を用いており、いかにも自然の滝の水が落ちているようです。川の流れは、白い玉砂利で表わされていま す。規模の雄大さと傑出した石組は、江戸初期の庭園様式を伝えるものとして国の名勝に指定されました。
大村に住んでいて大村の事を何にも知らない大村17です(漠) そしてもう一つ 新発見
秋田県角館町と大村市が昭和54年姉妹都市の関係を結びました この事は知ってましたが、なぜ?どんな理由で? 今まで知らなかったのです・・・・・・・お恥ずかしいです・・・・大村の人~みんな知ってるのかなぁ~ さて護国神社も散策した所で帰りは、隣にある春日神社の桜も見て帰る事に
神社の境内までは遅くなってたのでパスしてこちらに石段から降りました また違った雰囲気で一人だとちょっと寂しい感じがします こちらの神社も実は知らなかったのです(笑) だって あまりにもくっついてるから同じ護国神社だと思ってましたよ 去年母に聞いて分かった事ですが、母が小学生のころは 遠足と言えば「春日神社」に決まっていたそうです(笑) 最後にもう一枚 春日神社から降りて道から見える護国神社の“日の池” もう夕日が落ちるちょっと前だったので日差しの陰りが素敵でした
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