|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「美空」っちゅーバンドなんですがね。
なんか・・・解散しそぉです[何] ょくゎからんの!![逆ギレ] ヲイラは、活動するならきちんとしたぃし、 解散するなら、きちんとスッパリ辞めたいの! 適当に、学業ゃら部活ゃらと両立ーとか甘えた事は嫌いなん!! でも、とりぁぇずヲイラはバンドを解体させて生きてゅきます。 さて、本題。[前フリ長] なんか、年々、自殺する人が増えてるみたいだね。 私は、正直「死にたい」と思った事はあるが、 実際に死ぬなんて到底ムリだと思われる程、勇気が無い。 私が思うのは、 その自殺を決めた時の「決断」や、 その自殺を決行した時の「勇気」を、 他で生かせないかな?って事なんだけれども。 もちろん、それが出来ないからこそ、 自殺と言う道を選んだんだと思うんだけど。 やっぱり、外部の人間が励ましたりするのも大事なんだろうけど、 結局は「自分」ですからね。 そして、 「死にたい衝動」なんて信じない。 「死」に衝動など無いからだ。 自殺をする人間の遺書や、言葉の端々には、 「ずっと一人だった」 とか 「誰も助けてくれなかった」 とか いじめの場合はそういう理由って多いでしょ? だけど、 確かに外部の人間が色々としてあげてたケースもある。 もちろん、してあげてないケースの方がかなり多いが。 いくら、外部の人間が色々としてやったと思ってても、 それが自殺する本人に伝わらなければ、 結局は何もしていない事と同じになるんだよな。 これだから嫌なんだ。 自殺する人間は、 「心の叫びに気付いてくれ!」 と思っていても、 実際に行動に移せないから気付いてもらえない。 その気付いてもらえない寂しさや腹立たしさから、 自殺を図る。 正直、私から言えばだけれども、 自殺をする人間は、 自分の痛みだけに敏感に反応して、 他人の痛みには鈍い。 自殺をする人は、弱いとかそういう事じゃない。 弱い訳が無い。 自ら、「死」を選ぶのだから。 だけど、 他人の痛みには鈍い。 きっと、 「死にたい」だとか「死のう」と思っている人達の全員が、 自分の痛みだけを尊重せずに、 他人の痛みにも気付いてあげれたならば、 全員が「死」を選ぶ事は無いだろう。 ※ぁ、ぃきなりですが、関西弁廃止します[ぁ] なんかさぁ・・・。 関西弁って憧れるんだけども、 私が喋る(書く)関西弁だと、 アホっぽく聞こえるんすよー。(見えるんすよー。) やっぱ、本場には勝てないと[当たり前] 決して、関西弁がアホっぽいって言ってる訳じゃないですよ? 私が喋ると、です。 誤解が生まれぬ様にしたいですね[誰] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月02日 12時38分09秒
コメント(0) | コメントを書く |
|