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いや、いつもの如くまたNHKの自殺についての特集を見てたんだけど。
と言うか、暇だったからね。 本当はレンタルしてきた「となりのト〇ロ」でも見ようと思ってたんだけど、私の部屋にビデオデッキが無いので、面倒臭いからやめた。 とりあえず部屋に居たかったので、仕方なくNHK。 で、「死にたい」と言って相談してきた女の子が居たんだ。 で、そのNHKのナントカ評論家さんはこう言った。 「辛いのは今だけです。生きようよ。」 思わず、テレビを窓から放り投げる所でした(笑)。 辛いのは今だけかどうかなんて解らないしさ。 てか、辛くない日なんて存在しないと私は思ってる。 そんな気休めは必要無いと思うし、返ってその人を苦しめるんじゃないかなとも思うしね。 まぁ、その言葉もちょっと好きじゃなかったんだけど・・・。 それよりも、 「生きようよ」って言葉が好きじゃなかった。 私には合わない言葉だと思ったね。 それは、 「死」を考えている人間にとって、 「生きようよ」と言う言葉程、残酷なものは無い。 だってさ、「生きたくない」から「死」を考えているのに。 私が思うに、このナントカ評論家さんは「生きようよ」って無理矢理、言葉だけで説得するんじゃなくて、「生きる」為にはどうしたらいいのかを教えてあげるべきだと思うんよね。 言葉で、「生きようよ」と軽く言うのなら、幼稚園児で言えるでしょ。評論家だからこそ、言える言葉があるんじゃないか? それに、一緒に悩んであげなければ、悩み等解決しない。 自分の悩みの様に、接しなければ、駄目だよね。 そして、その評論家の隣には学校の先生が。 その人も、熱血漢溢れるんだけど、どっか噛み合わないんだよな、私と。 「時間が解決してくれるから、我慢するしかない」 「自分で抱え込まずに、誰かに相談するべきだ」 私は、違うんじゃないか?って思った。 時間が解決してくれないから、 我慢出来ないから、 「死」を考えている。 誰にも相談出来なかったから、 「死」を考えている。 それなのに、そんな言葉、おかしいよね。 もう、「死」を考えているって言う現実があるんだから。 その前の話をいくら持ち寄っても、意味は無いんだよね。 きっと、その人にとって最高の答えが、 「死」と言う事も有り得なくは無いんだけど、 やっぱりそれは寂しい。 「死」をもってでしか、自分の存在を認める事が出来ないなら、 それ程虚しい事は無いから。 「死にたい」を「死のう」に変える事は簡単だよ。 「死のう」を「死にたい」に変えるのは難しいよ。 だからこそ、あなたは今を生きている。 それだけじゃ、生きる理由になりませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月05日 12時00分00秒
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