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2004年05月11日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
これを聞かれても、ピンと来ない。

私は、今まで生きてきて死に直面する様な出来事に出会った訳でも無いし、「死にたい」と思った事はぁっても実際に行動に移す事は無かった。

私はね、別に、自殺とかイケナイって言ってる訳じゃないよ。
選択肢に「死」は誰だって必ず含まれていると思うし。

だけどさ、結局は人間誰しも必ず死ぬんだから、
それまで生きてたって良いのかなと思ったりもする訳だ。
まぁ、それが無理だから自殺するんだろうけどね。

さて、某テレビを見て。
1つ目のテレビはバラエティー。
2つ目のテレビはNHK。
何か、両極端で嫌だったんだけど、ちょっと見てた。

バラエティーの方では、
あるアナウンサーが、
ある芸能人と出掛けて、
帰ってきてご飯を食べてたのね。
で、「乾杯!」と一気にビールを飲む。
その瞬間に、

「この一杯の為だけに生きてる気がしますね」

って言ったんだ。

もちろん、現実的に考えればそんなのはオカシイんだけど、
私はこの言葉、嫌いじゃない。


NHKの方では、
自殺を考えている友達に対して、
「自分が救えないのなら、一緒に死のう」と考えている友達が居たんだよね。
その瞬間に、

「貴方の為なら死ねる」

って言ったんよ。

もちろん、現実的に考えればありえる事なんだけれど、
私は、この言葉好きじゃない。

「命」について、だとか「死」についてだとかって決して軽く考えちゃいけないものだとは思うのね。

だけどさ、
「誰かの為に死ぬ」だったり「誰かと一緒なら死ねる」みたいな言い方は好きじゃない。

「死」って言うのはさ、
選ばされるものなんだ、仕方ないんだ。

「死」は自分で決められない。

自殺だって同じなんだよ。

でもさ、逆に考えれば、
「生」も自分で決められない。

生まれたい時期を選べる訳じゃないんだ。
選ばされるものなんだからさ。

「生」も「死」も、
自分で選べないからこそ、
選ばされるからこそ、

「重み」があるんだと私は思っている。










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最終更新日  2004年05月11日 21時29分34秒
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