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真実じみた嘘なんて認めたくないし、解らない。
嘘じみた真実なんて認めたくないけど、認めざるを得ない。 ズレてると思うんだ。 例えば多少の「自分の思い出の美化」なら許されるとしよう。 それを「真実」やら「過去」やら「嘘」に広めては駄目でしょ? 嘘を「美化」しても、嘘は嘘なんだから。 嘘を「美化」すると、 真実じみた嘘が生まれる。 真実を「美化」しても、真実は真実なんだし、 それに逆に嘘くさくなる。 真実を「美化」すると、 嘘じみた真実が生まれる。 別にそのまんまでいーじゃん。 嘘じみた真実にも、真実じみた嘘にも騙される必要なんて無いと思うんだけどな。 誰か、あるいは世界とかの為に「美化」してしまうモノがあるのなら、実はそれソノモノが「重荷」なのかもしれないね。 隠す位なら、さらけ出す位の力を身につけようよ。 そいで、隠せると思うのなら、最後まで隠し通せばいいじゃない。 中途半端に自分の背負ってるモノを大事にしようとして、 放り投げてしまえばそれで終わりなんじゃないのか? 何でもスタートが大事でしょ。 ゴールなんて歩いていれば絶対に見えてくるんだもん。 見えない場所を探さないと、先なんて見えないでしょ。 「色々なモノを美化すると、重荷が軽くなったよ」 とか言うメールをよくもらう。 私は信じてないよ。そんなの。 きっとね、もう少ししたら「美化」した事によって、 現実と妄想のギャップに苦しむだろうよ。 私は助けてあげないよ。そんなの。 自分で出した結果は、自分で処理すべきでしょ。 そして、私は、 どこかの識者よりもどこかの犯罪者の方が 「良いことを言うなぁ。」 と思ってしまう人間だ。 「美化」された思い出なんか、 繰り返し見たくないし、何よりもカラッポなのが寂しい。 別に汚くてもいいんじゃない? 別に思い通りじゃなくてもいいんじゃない? 全てが自分の思い通りに行く人生なのだとしたら、 つまんないし、先が見えすぎてるから、 自殺しちゃってるかもしんないな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月16日 15時12分13秒
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