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カテゴリ:出産・子育て
英語長文和訳の指導で使った評論文がアメリカの平等の理念をテーマにアメリカの
家庭について論じていました。 和訳の指導をしながら日本の家庭について考えてみました。 日本人の家庭像とはどんなものがあるだろうか? 戦前は向田邦子の描く父親を中心に卓袱台を囲んで食事をとる風景が思い浮かびます。 昭和20年代30年代も同じような風景が小津安二郎の映画などで見ることができます。 昭和30年代といえばまさに僕の子供の頃です。当事の親子の関係はただ親子であ るということだけで子供に無条件に認めてくれる居場所を与えてくれていたような 気がします。 子供は何か特別な能力があったり、他の子より優れているから、親から認められたり 必要とされたりすることはありませんでした。競争社会の避難場所として充分機能して いたように思います。 団塊の世代が家庭を持つようになって家庭の中にも競争社会が持ち込まれました。子供 に対する親の期待が大きくなっていったのです。何か人より秀でる能力を持って欲しい とか、それができなければ勉強で優れた人間になって欲しいと期待するようになったの です。 そして家庭は失敗を受け入れてくれたり、傷ついた心を包んでくれるような無条件の 居場所ではなくなってしまったのです。 最近の犯罪では、「目立ちたかった」とか「認めてもらいたかった」と言う犯人が少 なくありません。親や社会の期待に応えられずに挫折し無条件の居場所を持たなかった のでしょう。 だれもが一角の人間になれるわけではありません。 ただ一介の市井の人間として生きていくことは幸せではないのですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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