カテゴリ:情報的生活行為
私はアウシュヴィッツと5つの収容所を生きのびナチス・ハンターとなった [ ヨセフ・レフコヴィッチ ] この自伝の主人公はご夫婦で引っ越しをしている。世界中。 ある時、ブラジルに引っ越すつもりがいろいろあって叶わなくなり、 前もって送っていたお商売のものや移住用の資産を、ブラジルで処分しなければならなくなり、ビジネス上のつながりを頼って、ブラジルのダイヤモンド鉱山の経営者と会う事になって・・。 引用ここから→p2783行目から:: 彼は、私が保管している商材に興味を持ち、すべてを買い取りたい、という意向だった。一方の私は、そこで彼が研磨中のダイヤモンド原石に興味を抱いた。28個のカラーダイヤモンドのコレクションで、大きさは1.60~7.00カラットだった。それらは、赤いピジョンブラッド、青、ピンク、緑、コニャック、透明な黒など、様々な色彩の美しい宝石だった。これは国際市場でよく売れる、と確信したので、ストレートスワップ(お互いの商品の交換)という条件で、すぐに取引成立の握手をした。 ちょっと自慢話をさせていただくが、私はおそらく、かなり時代を先取りしていたのだろう。その当時、ヨーロッパや北米のディーラーは、カラーダイヤモンドについてほとんど、あるいは全く知識がなかった。私はこの時入手したコレクションを数年間、手元の金庫に保管し、次いでニューヨークの私の代理人モシェ・エリアスに送った。彼は数年がかりで、購入してくれそうな顧客をパリで見つけた。結局、更に1年ほど交渉期間が続き、私が適正価格だと感じた金額で、そのコレクションを売却した。 しかし、結局のところ、私は相場を読み間違えたようだ。カラーダイヤモンド、特にピンクとイエローのダイヤモンドはその後で大流行し、非常に価値あるものになった。最近の例を挙げると、ジュネーブのサザビーズ・オークションハウスで、1カラット未満のピンクダイヤモンドが100万ドル(1.5億円前後)で落札された。28個のコレクションなら、今日の価格で5000万ドル(50億~70億円前後)の価値があると思う。 私の売却価格は、そこまでには至らなかった。とだけ申し上げておこう。 ::引用ここまで。 もう最後の方まで読んでしまった。一番、穏やかな語り口の所に来たから 読み進める。早く・・。 今日は読了の予定。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月22日 06時26分41秒
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