テーマ:暮らしを楽しむ(388612)
カテゴリ:情報的生活行為
日本語と漢字 正書法がないことばの歴史 (岩波新書 新赤版 2015) [ 今野 真二 ] 以下引用 第3章日本語再発見の部 p119最後の段落→ 言語を観察、分析するということは、観察、分析をする目が幾重にもなっていく、ということであり、観察、分析をする主体が人間であることからすれば、人間が人間を観察、分析するということも幾重にもなっていく。言語の分析、知の追及は、そのように内部に内部にと向かっていく営み、あるいは外部に外部にと向かっていく営みであることをまずおさえておく必要があると考える。現代日本語母語話者に分かりやすい説明は時に現代日本語母語話者にのみ分かりやすい説明に陥る危険性を常に持つ。(太字は引用者、原文は傍点)-引用ここまでp119 英語を学ぶ子供たちにとり、言語感覚は一体どうなっているのだろうとかねてより 思う事が多かった。 学校では、国語で平仮名、カタカナ、漢字、と3種の文字を習得する。 みていると、仮名はとにかく、漢字に関してかなり多くの時間を必要とする。 あたしのような高齢者にとっても、小さい頃の学校での漢字の学習は 今でも思い出すほどに、いやな事だった。(あたしだけ?) 中国をルーツとするこの漢字が、日本語とどういうかかわりを持っているのか、 丁度よい本が図書館にあったので、引いた。 これがまた、書き手が、(つまり著者)キチキチ、チャカチャカ、と、 論を進められるので、非常に難解なところもあるのだが、 はまってしまって、読み進んでいる。奥が深いのである。 表意文字、表音文字、のことをちょっとだけ知りたいと思っていただけなんだけど・・・。 他に借りてきた本は以下のとおり。 ゆうびんの父 [ 門井 慶喜 ] 「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから (集英社新書) [ 飯田 朔 ] 人生の救い 車谷長吉の人生相談 (朝日文庫) [ 車谷長吉 ] 最後のは読了。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年08月09日 06時58分32秒
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