|
全て
| カテゴリ未分類
| 野球
| 上尾市
| お祭り、いろいろ
| アクセスランキングaccess ranking
| SPORTS
| Youtube
| 元極学 杉山晴吉先生
| 通信
| AKKY JAPAN YouTube
| パッチの選択例
| NHK党
| 大紀元時報日本、フォーカス台湾
| 薬害
| 健康を考える上尾市民の会
| ガーシー
| 環境、医療、エネルギービジネス(既得権益)
| チャンネルつばさ
| 日本大麻党
| 新党くにもり
| 鉄道
| 新しい国民の運動
| ニュース
| 本間奈々
| よくないこと
| 歴史
| TaiwanPlus
| 創価学会
| 浜田聡参議
| 宮川なおき
| 女帝
カテゴリ:カテゴリ未分類
9
そこに、かつて「王国」があった 「そう、何かあるかもしれんねえ、この町には」 生真面目な表情でそう話すのは、地元の郷土史家・林扶美夫さん(82歳)だ。 林さんは陰謀論者でもなければ、安易にデマに加担するような人ではない。 古くから「田布施地方史研究会」の代表を務め、地元に関する歴史発掘に努めてきた歴史家だ。 当然、「田布施システム」なるものは一笑に付す。 そんな林さんでも、田布施には不思議な歴史の文脈が流れているのだという。 「かつて、このあたりは熊毛王国と呼ばれていました」 天皇すり替えどころの話ではない。 王国である。 ただし、弥生時代の話だ。 「熊毛地方(田布施を含む近隣地域のこと)は、かつて瀬戸内海の要所であり、人や文化の集積地点として栄えました」 大和朝廷が完成するまで、人口が集中する地域は独自の小国家をつくった。 そのひとつが「熊毛王国」だったらしい。 町内に古墳が多いことも田布施の特徴だ。 現在、確認されている古墳の数は85基。 山口県で最古の古墳である国森古墳も田布施の町はずれにある。 また、そうした海上交通の要所という"地の利”から、大和朝廷成立後も、朝鮮半島や中国大陸とは交易の中継点として繋がりをもった。 この地に渡来人が住み着くケースも少なくなかった。 「田布施システム」を"朝鮮人支配"と結びつける説も、実はそこが根拠となっている。 実際、7世紀の「白村江の戦い」(朝鮮半島の白村江を舞台とした倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争)では、戦後、多くの朝鮮半島出身者が日本に渡り、その一部は田布施で下船し、そのまま定着したという。 「いまでも、その痕跡は町内に残っていますよ」と、林さんが教えてくれたのは、「神籠石(こうごいし)」の存在だ。 「要するに"朝鮮式山城"と呼ばれる遺跡です」 日本に渡った朝鮮半島の人々は、敵の来襲に備えて山城をつくった。 切り石を、レンガを積むように並べる手法は中国大陸由来とされ(万里の長城も同様の積み方である)、これが後に「朝鮮式山城」と呼ばれるようになった。 「つまりね」と林さんが続ける。 「遠い地域の文化が残されている。 人が行き来している。 こんな小さな町でも、歴史を紐解けば、世界と繋がっているんだよ」 林さんが「何かある」というのはそういうことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.01 13:12:40
コメント(0) | コメントを書く |
|