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んちゃす
こんかいもすばらしいおくりものありがとうございました。 かならずおやくそくのものをおくります。 しりあってわずかしかじかんがたっていないのに、あぶないねっとのたにんをしんらいできるめをもっているかたってすばらしいですね。 だまされやすいかも?(なんてうそ!)っていうよりも、しんらいできるこころをもっているのだとかんどうしました。 とどいたときに、ほんとうにおくってくれたせいじつなひとなんだっておどろきました。 じぶんでさいそくして、やくそくしたんだけど。 げんじつのほうが、くちやくそくばっかりだよね。 ねっとのかたのほうが、あいてのかおや、ふんいきがわからないぶんこわいとおもっていた。 じつはさいきん、15さいからのともだちのほんしょうをはっきりとみてがっくりとしていました。 いかりでかおをおもいだすとたびに、わるぐちばかりいっています、あたまがいたくなるほど、いかっています。 じぶんでもうすうすきがついていたんですが、わなにはまってしまいました、いかりがしんとうです。 おいらのよろこびごとをよろこぶどころかばかにする、ほめることがない、こまっているからかわさきからはままつのとなりのかけがわまできてくれといわれ、でんしゃちんはじぶんもち、でやくにたとうとしたら、いっしゅうかんなにもさせず そのご、なんどか、きてほしいといっていたのでいくと、しょうじきいって、じぶんですこしのかねでやすりょこうをけいかくしていても、やめてでもいきました。 あるとき、 ほかのともだちに、めしをくいにきてなにもいないで、めいわくだったとつげぐちをされていた、てみやげも、もって、こうつひ、じかんもじぶんのじかんもさいてまごころもこめていっていたのに、6じかんもかけていってこんなしうち。 「こんどのどようびにいこうか?」ときくと「ひとがくるから」と。 そのごもおなじことをいわれた。 じぶんからなるべくきてほしいといってきたのに おひとよしぶりをはっきして、ほかのゆうじんにどなられた。 つげぐちしたゆうじんは、かおうのしたうけで24さいできゅうりょう20まん、ぼーなす、50まん、やちん、てあてでただどうぜん、せんざいなどせいかつようひんもかなりしきゅうされて すきなかいものざんまい。 ゆうゆうじてき。 せいじつさをもちつづけようといきても、ばかなおいらはびようしなど8まんくらい、いちにちのにっとう、2せんえんくらいでともだちよりながいじかんやすまずはたらいて、ぼーなすなし、ゆうきゅうもなし。 びようがっこうのじゅぎょうりょうもはらいつづけ。 ずっと、せいかつがくるしかった。 だれもえんじょしてくれなかった、 じぶんでえらんだみち、いずれぎじゅつしゃになればかいしゃいんよりよいきゅうりょうになるとおもっていた。 おもっていたが、みせのひとのたちがわるく、けっきょく、ぎじゅつもおしえてもらえず、ざつようばかりでやすくこきつかわれただけだった。 おいらって、ようりょうがわるすぎる、たすけても、こうしてむくわれることがなかった。 かるくみられてばかにされて。 もうこのとしでここまでがんばってもこのていど、これからさきはねんれいがたかくなるにつけてはけんなどもさいようしてもらいずらくなる。 たいりょくも、おぼえもわるくなるしでおちこみまくり。 まえをみればくらいことばかり、いくらがんばったり、ひとだすけをしてもこれか? と、つげぐちをきいたゆうじんくらいはあのひとのほんしょうをみぬいてくれているかとおもっていたがおいらをどなりとばした。 、たびたび、めぐまれたゆうじんのかたをもつばかり、こどもにおとしだまをふつりあいなきんがくをもらっていたからだとおもう。 めぐまれた、ゆうじんはどんなにたかいものでもへいきでくれるひとだから、でもそれは、「これをあげたかったから、かっておいた、ぜひ、もらってほしい」というものではない。 じぶんにはひつようがないとおもうものものばかりくれる、どんなにたかくても。 ぱーてぃーにきていくふくをかいにいったとき、「じみでいい」といっておそろいでかったら、とうじつ、すばらしいふくをきてきた。 おいらたちがかわいそうなかんきょうでそだったところがきょうつうしていた 、だれかにあいされたい、ひつようとされたいっておもうきもちがつよい、ゆうじんはまわりをけおとしてでもっていうつよいきもちまであったようだ。 おいらはそこまではとあきらめてしまう、ことわられたら、よけいにつらいとおもってしまうから。 ゆうじょうがそだっているとしんじていた、たしょうにんげんだから、わるいところもあるとおいらは、たかをくくっていたようだ。 ゆうじんはちかくにいるひとに、ああやって、じぶんにいやなおもいさせるな!、こうしろ!というきもちもつよいようだ。 だから、けっこんしたがにげられた。 あいてのひとがせっかく、かていのことでてつだってくれて「どうするの?このあと、よくわからないから、おしえて?」っていったら。 「もう!なんどきけば!なんどもいわせて!」とにらみつけた、 れんあいけっこんだと、ああもいいあえるのか?めのまえのことをうらやましくおもったがたいどがちがうんじゃないかともおもった。 けっきょくあいてはかえってこなくなった、ゆうじんのひっこしのへやさがしもさせられた。 ながくつきあえばにんげんかんけいがよくなるばかりじゃない、じぶんのおもうこともすなおにじぶんにいいきかせればよかった。 うそもほうべんでばかしょうじきにしないようにする、ただ、せいじつなきもちをにごらせないように。 きよらかなきもちをすてればどんなにかみさまにおがんだってゆうじんのようにめぐまれたかんきょうにもかんしゃしない、せいじつなにんげんもふみだいにしてしまういきかたをしないようにしたい。 なんだかいやみみたいにきのうのにっきに、いつでもかねがないってかいてしまったみたい。 ほんとうのことだけど、ずっとこういうちょうしだからなれているからだいじょうぶ。 やりくりじょうずだよ、あるときはあるなりに、ないときはないなりに、ができるねってほめられたんだから。 じぶんんのこころがみたされていなかったから、ふそくをかんじていたから、おかねがたりないせいにしていただけだった。 りそうのじんせいをてにいれられていることにきがついていなかった。 あれほどどりょくしたあいてにせいじつさをわかってもらえなかったのに、こんなふくめんざだんかい、なんていわれているねっとのせかいでみじかいつきあいなのに、せいじつさをわかってくれるかたもいるんだとふくざつになった。 じぶんのみるめのなさにもがくぜんと、しつぼうした。 でもうれしいかんけいができることもじっしょうされてかんしゃしています、ありがとう。 これからもよろしくおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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