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ユダヤが解ると真実が見えてくる

ユダヤが解ると真実が見えてくる

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2012年04月04日
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カテゴリ:ユダヤの基礎
 かれらがやっていることの結果を、われらの政府の教訓としようではないか。

 われわれの国家体制のためには、服従する訓練が必要な政府機関の重要位置からは
皆、リベラリズムを一掃する。かかる位置にはもっぱら行政支配のためにわれわれが
訓練してきた人間のみを据える。古い官吏を解雇したら大蔵省の負担増加になるので
はないかと案ずる向きがあろうかと思うが、その問題に対してはこうお答えしよう。
第一に、解雇した職員には職を失った代わりにいくつかの民間企業に回してやる。第
二に、世界中の金はわれわれの手中に集中したのであるから、経費が嵩む虞れはない
のである。
 われわれの絶対主義は万事にわたって論理が貫徹しているので、どの判決一つをと
ってみても、われわれの最高意志は尊重され一点の疑念もなく遂行される。あらゆる
種類の不平苦情を無視し、あらゆる種類の示威抗議には制裁を加えて見せしめにする。
 われわれは控訴権のような、決定を覆す権利を廃棄する。そういうことはもっぱら
われわれの一存・・支配する者の判断に預けられる。われわれが任命した裁判官が誤
った判決を下すことがある、というような考えを人民に与えることは断じて許しては
ならない。しかしながら、万一判決に変更を加える必要が生じた場合は、われわれ自
身が決定を廃棄するが、直ちに裁判官に二度と同種の過誤を犯さない旨の約束をさせ、
自己の義務過怠に懲罰を課して見せしめにする……重ねて申し上げるが、われわれの
行政においては一段階ごとに、一応はわれわれを満足させてくれている人民に密着し
てよく監視する必要があり、善良なる政治は善良なる官吏を要求する権利があるとい
うことを銘記していただきたいのである。

 われわれの政府は、支配する側からいえば族長父権的保護という外観を呈するだろ
う。われわれ民族とわれらの国民は、王という人物に、王との関係はもとより、国民
が望むこと、国民がやっていること、国民間のいろいろな関係などの何もかもを気使
う父の姿を見るだろう。安穏無事に生きたいと切に願うならば、国民は完全にこの考
えにとらわれ、この方の保護と指導なしには何もやって行けなくなり、とりわけ、わ
れわれが任命した者たちが私利私欲のためにではなく、ひたすら誠実に命令を実行し
ているだけであることを知ったときには、われらが王を神と崇めて帰依献身し、その
専制に従うであろう。かれらは、わが子に義務と服従を植え付けるべく訓育した賢明
な両親がなすように、われわれがかれらの生活万般を取り締まることに欣喜雀躍する
であろう。われわれの秘策という視点から眺めると、世界の人民たちはまだまだ成年
にも達しない子供の類いであり、各国政府もまたまさにその段階である。

 先刻御承知のように、私は権利と義務に対する絶対支配についてお話し申し上げた。
義務を実行させる権利は、臣民に対する父たる政府の第一の責務である。人類を天然
が定めた秩序すなわち服従に立脚させることは、強者の権利である。この世の万物は、
人間でないものでも環境か、そのもの自身の本性か、いずれにしてももっと強い者に
服従させられている。であるからこそ、善を実現するためには、われわれはさらに強
い者になろうではないか。

 われわれは確立した秩序に違反する者は何びとでも、躊躇なく犠牲にせざるをえな
い。見せしめに悪に懲罰を加えることは、一大教育課題である。

 イスラエル王がヨーロッパの捧げた王冠を神聖な頭に戴くときは、世界の族長とな
るだろう。そこに達するまでに王が王が供する犠牲は、ゴイム政府が何世紀かにわた
って強者を競った狂人じみた張合いが供した犠牲の数に比べれば物の数にも入らない。

 われらの王は絶えず人民と接し、特使を通じて演説させ、その名声は全く同時間に
全世界に報道されるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プロトコール 十六
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    大学の去勢。古典主義を取り替える。訓練と天職。学校における支配者
      の権威の宣伝。私学の廃止。新学説。思考力を殺ぐ。視覚教育。

 われわれ以外の結束力をすべて根絶するためには、集産主義の第一段階・・大学・
・を、新しい方向で再教育して去勢するのである。職員や教授連を精密な秘密教育計
画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。かれらの
任命には格段の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。
 われわれは全教育課程から政治と同様に法律も排除する。政治法律に関しては、予
め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教
える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、
父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらわう青二才を世の中に送り出
してはならない。
 大多数の人間がもっている政治問題に関する頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る
人間や不良市民を作るのである。諸氏は実際の大学教育がゴイムをこの方向に導いて
きた実例をよく御存知であろう。われわれはかれらの教育の中に、完膚なきまでにか
れらの秩序を破壊する原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、われわ
れが権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程か
ら駆逐し、青年を権威に従順な子供にし、平和安寧の希望として統治者を頼みの柱と
するように育成するのである。
 どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例
よりも悪い例の方が多いのであって、われわれはそれに代えるに未来研究をもってす
る。われわれは、われわれにとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消
去し、ゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する。実際生活、秩序に対する義務、
人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問
題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業
ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。
この処置は、特に重要である。
 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加え
なければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階
層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生
れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということ
は、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会はどうなったか、
諸氏はよく御存知のはずである。
 われわれは私学という私学をことごく廃止する。教育施設の中では、あたかもクラ
ブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師
が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々
の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課
外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的にわれわれの信仰に従わせるた
めの移行期の教理として、われわれが提起するのである。現在ならびに将来の行動計
画を説明し終えたら、私は諸氏にその学説の原理をお話しする。
 一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、人間は思想に生き思想に導か
れるものであり、思想というのは人間成長の各段階にふさわしい教育を初め、さまざ
まな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けない最後の火花
を、われわれが押収し呑込み、自分自身のものとして利用するであろう。この、思考
力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、われわれが導入してき
た極めて有益な手段である。思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる実物教育[百
貨店は万国博におけるデモンストレーションを指す]という方法で実行されている。
この方法によりゴイムは、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考えない従
順な動物にさせられている……フランスでは、われわれの最良の代理人であるブルジ
ョアジー諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。





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最終更新日  2012年04月04日 17時35分24秒
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