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カテゴリ:内山の歴史
ユっぴー・コスモスです。

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 ●荒船不動尊にて行者様の護摩焚き(6/9)

6月に、荒船不動尊にて「内山キラキラプロジェクト」主催で開催した
「荒船山について学ぶ勉強会」。

講師を務めてくださった、内山在住、
佐久の歴史研究家、羽毛田卓也さんが、
当日のお話の内容を、整理して何回かに分けて文章にし
地元内山のコミュニティ紙「月刊こすもす」に投稿してくださっています。

掲載された<その2>を、紹介させていただきます。
 (ウェブ上で読みやすくするために、
  当ブログ筆者が改行や行空け等の手を加えていますことをご了承ください。)


──水の信仰(荒船不動にて)その2──

去る6月9日に内山キラキラプロジェクト主催で、
荒船山の水の信仰の話を荒船不動尊で行いました。
今回は前回に引き続き、その内容の一部を少し整理して紹介します。


佐久の東端の八風山・物見山・寄石山・熊倉峰・兜岩山・荒船山は、
中世まで遡ることができる修験道地で、
その一部は「荒船修験道遺跡群」として登録され、周知されています。

この修験道地が開かれたのは、
関東地方に修験道が波及したとされる平安時代後期まで遡る可能性があります。
荒船山を主峰とするこの修験道を、荒船修験道と呼ばせていただきます。

荒船修験道は、
信州佐久側よりも上州方面に痕跡が広く残されています。

「荒船御池」「荒船の雷様」「荒船権現の薬」といった伝承も
上州側に残されています。
また、荒船山の水の信仰や、荒船山に発生する雷雲の信仰が、
上州側で強く残されていることとも関係があるでしょう。

夏季に雷が多く発生する上州では、
御荷鉾山・妙義山・荒船山などが
雷雲を発生させる山として信仰されており、
特に荒船山の雷雲は、たくさんの対地雷を発生させ、大雨をもたらすと、
とても恐れられていました。

佐久側でも、列島南岸を東進する低気圧の影響で、
荒船山に雷雲が発生し、
佐久平に到達すると、雷雨をもたらし大荒れの天気になると言われ、
「あさまかみなりおとばかり、あらふねかみなりすぐかえれ」と、
いつからか伝承されています。


修験道とは、
日本古来の山岳信仰と神道、道教、陰陽道、仏教が結びつき生まれた
日本独特の信仰のひとつです。

荒船山では、
荒船山の信仰と
荒船権現(権現とは神を具象化したもの)、
修験道が結びついたものと考えられます。

荒船修験道について
私なりの解釈を加えた説明をしたいと思います。

荒船不動は何回か火災に遭っているようですが、
江戸時代の中頃の火災が一番大きなものであったようです。
落雷により本堂が焼失したという伝承が残されています。

焼失した本堂(不動堂)は、
現在の不動尊本堂の北側の登山道を隔てた高台にあったとされています。
現在は大木が生い茂り、周囲にいくつかの石碑と石祠がありますが、
中心部分には何も置かれておりませんので、
だいたいの位置を推定できそうです。
さらにその北側の平坦地には客殿があったと伝えられています。
現在の本堂は、修験道者の宿坊だったようです。

落雷で本堂焼失の際にご本尊が運び出され、
宿坊に安置されたのが始まりのようです。

現在の登山道は、不動尊前を通過していますが、
古くは、不動尊東側の沢筋を通過していました。

古い登山道には
石や灯篭の残骸が脇に残されている箇所もあります。
不動尊北側の工事車両出入り口の沢筋に
分岐点があります。

その沢には、荒船山登山のための禊場が存在していましたが、
数年前の台風等による大雨の土砂災害により、
押し流されてしまったようです。

禊場には通称「川護石(こうごいし)」と呼ばれる石があったのですが、
土砂崩落箇所の真下にあったため、
土砂と一緒に下流方向に押し出されてしまったと考えられます。

先日砂防ダム工事主体者の方と現地を確認しましたが、
土砂崩れにより、地形が変わってしまっており、
禊場へ降りる上部の通路は確認できましたが、
「川護石」と禊場は不明・消滅してしまっていました。

災害とは恐ろしいなあと現地を見て感じました。

禊とは、身を清める水を体に浴びる場所のことで、
荒船修験道の聖地である荒船山の頂上へ行くために、
登山者は身を清める必要がありました。

また修験道者にも水は非常に重要で、
身を清める他にも、生活や修行にも必要でした。

荒船不動尊の周囲には禊場の他にも湧水地点が何箇所か存在し、
生活用、園池用、修行用と分けられていた可能性もあります。

関東から訪れた修験者は、
上州側の登山道ではなく、佐久側の荒船不動尊を経由して、荒船山に登り、
付近の佐久の山々で修行を積んだものと考えられます。

江戸時代の中期から後期にかけてが、一番にぎわった不動尊ですが、
明治時代に修験道が解散されてからは、
修験や講の訪問者も減ったようです。

また、訪問者が関東からの人がほとんどであったため、
それも影響したのかもしれません。

次回は「荒船講」と修験の話をもう少し続けます。

   ★ 内山在住 羽毛田さん★の
      →■内山の歴史・自然エッセイ*コーナーへ

──────


以上羽毛田さんの寄稿文(改行等は当ブログ筆者)

また後日、この続編をご紹介します。

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最終更新日  2013.10.04 15:45:59
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