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カテゴリ:人生観
どの角度より、見れど美しきものあらじ、 良き角度より見るが、よろしも 藤 秀翠 どの角度から見ても美しいと思える存在は無い。 良き角度を見つけて、そこを観るのがよろしい。 美しい花でも、どちらから観たほうが美しいか、 見るべき角度がありますね。 私の場合、料理人でもありますから、 料理を盛り付けるにしても、美が要求される。 同じ素材でも、盛り付け方一つで大きく変わる。 中学生の頃から、父親の影響で盆栽や植木といった、 大変じじむさい趣味も持っていたんです。 (ちょっと、変わっていましたね。) そこで、いつも気にかけるのは、やはり“美”です。 無理の無い、自然な形に“美”は宿ります。 盆栽や植木の“美”は、大宇宙のバランスを表現します。 バランス、調和を崩した所に美は存在しない。 私達人間関係にも、見るべき角度があるようです。 よき角度とは、その人の良い所を見る角度でしょう。 ここでも、人間関係の基本とも言うべき “許す”という事が出てきます。 短所に見える部分を許すという事。 自分も今まで許されてきたのだから、 (今こうして存在していること事態、 許されているという事。) 許す事が、調和でありバランス、美なのでしょう。 そして、適材適所とでも言いましょうか。 その人に相応しい生きる場所や役目があります。 「水を得た魚」とか、反対に「岡に上がった河童」とか。 その人が光り輝く場所があるようです。 私の場合、都会ではなくこの島でした。 そういう場所を提供し合える為には、 より深い理解が必要ですね。 まず、自分自身を深く理解する。 己を知るという事。 そして、相手を知るという事。 美しいと思える方向で、 相手を観る、自分を観る。 そうすれば、争いは起きません。 認め合い、許し合い、認め愛、許し愛・・・・・ 本当の豊かさとはなんだろうと考える。 先ず、最低限以上の衣食住が足りている。 (良寛禅師は、それすらも無所有に近かった) 次に来るのは、物質的豊かさではない。 心の豊かさ。 さてそれは? すべてを受け入れ、許せるという事。 これが、本当の豊かという事かもしれない。 弥勒の世とは、こういう人々の世なのでしょうね。 秋の七草の一つ、フジバカマです。 秋なのですね~~ そう、明日は十五夜ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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