|
カテゴリ:アセンション
それぞれの人達が、それぞれの今を楽しみ、生きている。 苦しさも悲しさも、歓びの一部。 最大級の歓びは、大きな難関を超えた所に あることは皆さん解っていらっしゃる。 報酬と代価の法則ですね。 何かを得ようとするならば、 それに見合うだけの代価を支払わなければならない。 そうして生きてきた結果、今がある。 「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり ひとたび生をうけ、 滅せぬもののあるべきや」 信長が好んだ、能の「敦盛」の一節ですね。 信長は、どう生きようが50年、 思いっきり駆け抜こうという生き方を選択した。 私は50代後半。 島暮らしは14年目だ。 50年間は、何だか解らず信長とは言わないまでも、 がむしゃらに突っ走ってきた。 これからは、言わばおまけのような人生でいて、 実は人間の真価が問われる時。 言うならば、人生の仕上げの時と言うべきか。 平均寿命が80歳と言う時代、 50代が節目と言うべきか。 金持ちは「あと30年しか生きられない」 と命の心配をする (お金が、単なる紙になる可能生だってあるのにね。) お金の奴隷となっている人は 「あと30年も生きなければならない」 とお金の心配をする。 人生いろいろと言うべきか。 私の場合、突っ走って生きてきた結果、 随分人を傷つけてしまった。 過去の悪行の数々?を、 清算できるものなら清算したい。 過去世からの宿題(カルマ)も、残っているのでしょう。 地球のアセンションという、 壮大な宇宙のドラマが繰り広げられようとしているこの時期、 それにピッタリと合わすかのような私のこれからの人生。 醜くは生きたくは無い。 美しく生きたい、 気高く生きたいと願うばかり。 身魂の浄化は、私の人生の仕上げという意味で 欠くことの出来ない大切な事。 いつも心穏やかに、どんな時も微笑を忘れず、 いつでも他人に手を差し伸べられる心の準備を整えておく事、 これらが私にとっての行なのでしょう。 まだまだ私は、穏やかなフリ、 笑顔を忘れる時ありと、充分とは言えない。 あらためた行も素晴らしい事でしょう。 しかし在家において、本来は日々の日常にこそ そのヒントがあるのではないか。 そういう意味でこの島は、 過去世を含めたすべての私の 総仕上げには最適な場所なのです。 秋田杉の一枚物のテーブルの足は、極太の網地島杉で仕上げました。 これで、絶妙なバランスが取れて、大変美しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アセンション] カテゴリの最新記事
|