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カテゴリ:人生観
秋のお祭りは、神様への収穫のご報告と、 喜びを皆で分かち合う場です。 神、人、自然の秩序が保たれていた頃の名残ですね。 先日、この島にある熊野神社の祭礼が行われました。 過疎化の影響もあり、年々質素に、そしてやはり厳かに。 この日は、島の誰もが神様を意識する日です。 でも、本当は神は自分の内面に宿っていますね。 只、今はそれを忘れている人が多いだけ。 神は、拝んで何かをお願いするべき存在ではない。 外にいる神?も、内に内在する神も、 心から感謝しなくてはならない存在でしょう。 こうして、我々が存在させていただいている事自体、 大きな喜びであるはずです。 だから、本来はこれ以上 神に望むべき事は何もありません。 ただただ、感謝する事なのでしょう。 そして目の前の現実は、 自らが発している想念が作り出している世界。 だから人それぞれの在り様で、 そのまま現実という形として具現する。 幸を呼び込んでいるのも自分だし、 不都合を引き寄せているのも自分の想念ですね。 低い波動や想念を発すれば、 それに見合った出来事が引き寄せられます。 神に、いくら祈ったところで、どうなるものではない。 派手さがまったく無い島のお祭り 今でこそ、気象や海象の情報が科学的に伝播され、 船の性能も一段とアップされてきているので、 無事な航海は神に手を合わせなくとも 大丈夫だと言う時代です。 でも、やはり海は何が起こるか解らない。 「板子一枚、下は地獄」 と言われる所以です。 だから、島の人は祈ります。 生かさせていただいていることに歓喜し、 手を合わせ感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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