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カテゴリ:島の生活
ようこそ、お越し下さいました。 ここ数回、「守る」という事について語ってきました。 自分や家族を守るという事は、 穏やかな心で日々を送れ、 心安らかに過ごせるという事ですね。 殆どの方が、神仏に手を合わせ、 家内安全や願い事の成就を 祈ったことがあると思います。 お賽銭をあげたり、祈祷料を払ったり、 お守りを買ったりというお布施もしたりと。 神仏にお願いをしたら 叶えられるのかという事、 皆様はどう思われますか。 精神世界では、目の前に展開する現実という出来事は、 自身の内面の投影であるとされていることは、すでに書きました。 内面の投影とは、自身の持っている波動に 見合った現実が展開されるという事。 「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、 同じような波動を持ち合わせた者同士が 引き合い呼び合うのですね。 高い精神性を持った人には、 同じような波動を持った人が 集まり易いのでしょうね。 だから、低い波動を有している人は、 (荒い波動) 同じような人が集うのですから、 争いごとが増えたり、 自己中心的な傾向がさらに強まってしまう。 荒い波動は、 荒い言葉、 荒い行動を誘発します。 そういう中に身を置くと、 人のことを思う心が希薄になり、 自分さえ良ければという考えに 固まりがちとなる。 自己中心が当たり前で、 普通の考えだと決めつける生き方に なってしまいますね。 そういう生き方が嫌だと思っても、 自身の波動が低ければ、 やはりその中に身を置くことになる。 粗雑な波動に誘発されるのは、 闇の勢力の美味しいエネルギーです。 争いを起こさせ、嫉妬心や猜疑心、 怒りや不満を引き起こす。 いくら、神社仏閣でお祈りしても、 お布施をしても、 天は特別扱いや依怙贔屓は してくれないのですね。 自身の波動なりの現実が、 ただ淡々と過ぎ去ってゆく。 だから、家族を守ったり 自身が心豊かに生きようと欲すれば、 自らの波動を高めることに尽きると思いわれます。 こういうふうに言い切ると、 神社仏閣で手を合わせることって 無駄なように聞こえますが、 そんなことはありません。 手を合わせて、御利益を求めても その身勝手?な願いを聞き入れるという 天と人とのシステムはあるとは思えませんが、 自我に結びつかない心からの真摯な祈りは、 自身を守護して下さる存在が 応援してくれるのは間違いのない所。 特に、「波動を高める」ことは、 天意でもあるわけですから、 自分と天とのラインがピチッと通り、 ハイヤーセルフ等も もちろん異論などあろうはずもなく、 事がスムーズに運ぶことでしょう。 でも「真摯な祈り」 という事ですからね。 「真摯」というっ言葉を辞書で調べれば、 「真面目で熱心なこと」 とあります。 私は、これに加えたいこと、それは “誠” があるかという事。 そして、願いを聞き入れてもらうというお願い事ではなく、 生かされていることに感謝するという意味で、 手を合わせることは素晴らしい事と思います。 「守られる」人のキーワードは、 「高い波動」だという事に尽きると思います。 今日から五月、島の花を3連荘しますね。 人間の世界は、滑ったの転んだのと忙しいようですが、 それ以外の万物は、いつも通り「調和」に過ごしているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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