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カテゴリ:島の生活
ようこそ、お越し下さました。 震災から、早いもので3カ月が過ぎましたね。 短く感じるか、長く感じるかは人それぞれ。 どういう訳かこの間、私は一度も島から離れていません。 離れられないというか、 離れたくないというか。 一日も欠かさず、 元気いっぱいの私を 島の皆に見てもらっています。 それが、どんな意味があるのか 無いのかはどうでもいい。 ただ、私は島にいたいのですね。 この島は、漁業と観光の島。 島民の多くは漁業に携わっております。 それが、この津波で漁船がほとんど流されました。 その打開策が、やっと提示されてきました。 船舶購入資金の中で国が1/3、 県が1/3、漁協が1/3を提供して購入し、 私たち漁協組合員は漁協から 5年のリース契約で借り受けるというもの。 リース契約金は、1/3の部分のみとなります。 だから、船体とエンジン、ぎ装品等の 一切の出費の1/3を5年で手にすることができるようです。 ありがたい話ですね。 新艇を66%引きで買えることが出来、 支払いは無利息の5年ローンで払えばいいというもの。 いたせりつくせりといったところかな。 ここで大切な心構えとして、 政治は、国民の命と財産を守る 義務があるのは、どこの国でも当然です。 政治レベルでは、 国民の窮状を何とかして あげたいと考える。 私達は、それを税金を以てするのだから 当たり前の権利として 受け止めてしまったら、 カルマが生じてしまう。 深い、深い感謝の心があって、 それを癒します。 そのことを、ゆめゆめ忘れてはいけませんね。 漁業は、国民の食文化を担う大切な産業です。 多くの漁民がやっていけないという理由で 漁業離れをしてしまったら、 スーパーの店頭に並ぶ魚は 中国産や韓国産などの 輸入ものばかりになったら大変なこと。 口に入るものは、 より安全なものを求められますからね。 水産庁も必死なようです。 でも、納艇までは相当時間もかかるようですね。 数千艇、あるいはそれ以上を 新造しなくてはならないのですから また、船があっても港湾の陥没や海の状況が、 まだまだ漁業ができる環境にはないため、 漁の再開には更に時間が必要です。 そろそろ私達は、 所有という概念を変えていかなくては ならないのではないかと 思い知らされています。 今回の地震や津波で、 私達が失ったのは「物」だけです。 肉体も、その人の本質ではなく、 物質社会で表現するための服ですから、 これまた物。 「物」は、多くを失ったけど、 私達の「精神」は流されてはいませんね。 流されるどころか、 大きく成長させていただきました。 「物」に依存し過ぎてきた私達。 もちろん、生きて行く上では「物」は必要です。 でも、だからと言ってそれに 依存し過ぎていては、 失った時のショックは大きいはず。 物を巡る争いが人間の歴史と言っても 決して過言ではありません。 「物」は、「無くなったら無くなったでいい」 くらいの腹のくくり方をすれば、 もっと豊かになれるのではないか。 物をあまり持たない遊牧民みたいに、 とまではいかなくともね。 西行や良寛のような 「無私」に生きるというのは、 私の夢でもありますが・・・ 裸でこの世に生まれ出でて、死ぬ時も裸。 持っていけるのは、3次元で体験した精神のみ。 今、所有物と思っているものであっても、 その一切は天からの借り物と思えば、 いったんは天にお返ししたと思えば、 「奪われた」という「苦」、 被害者意識には陥らないはずですね。 たとえそれが、肉体であってもね。 いったんはお返ししても、 また借りられる状況になれば 貸していただけます。 「物」への執着を手放せば、 「物」はいくらでも流通すると思われます。 一切の心配や不安はありません。 その手かせ足かせが、 不安と恐怖だという事を よくよく注意しなくてはね。 津波から3カ月、少しは心の余裕ができる頃ね。 「被害者意識」を捨て去ろう。 目の前の展開は、 自分の内面の投影だという 実相を理解しよう。 物が無くなって、 何が大切なのかを 解らせていただいた。 多くを学べた出来事だった。 もっと、もっと学ぼう。 辛い苦しいと思えることは、 偶然でもなく罰則でもない。 一切は学びの為のチャンスなのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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