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2011.06.16
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カテゴリ:アセンション


ようこそ、お越し下さました。




毎日、忙しく過ごしております。

毎日携わっている

港湾のがれきの撤去作業。

これは、漁業に携わっていた

島民によるものです。


私の主な作業は、

漂着した丸太のチェンソーによる切断です。

太さ30~60cm位、

長さ5m~12m位の原木を、

太いのは40cm、

それ以外は80cmにカットします。


カットと言ってもこれが大変で、

海水をたっぷりと含み、

しかも砂だらけ。

樹木種も多彩で、米松、ヒノキ、杉、

そしてそれまで海岸線に樹生していた

大木の松が津波で流されて漂着してきています。

その数、数百本。

この3カ月で、海水浴場に打ちあがった原木の一部は、

すでに砂に埋まってしまっていて、

それを掘り起こしてカットする。

チェンソーワークは慣れた作業

なのですが、ちょっと大変です。

でも、少しづつ浜がきれいになっていくので

とても楽しい作業です。




そして、港湾嵩上げの工事関係の方々も、

多く来島されています。

(今は、その設計にあたっているようです。)

うちに宿泊されていますので、そのお世話もあります。

島中で、復旧復興の槌音が聞こえます。

とっても、有難いですね。


まるで島の心臓が、トクトクと

鼓動を刻んでいるようです。

島が、一つの生命体であるのを感じます。




表題の言葉は

「衣食足りて、礼節を知る」と、

子供のころから習った言葉ですね。


物質的に充分豊かであってこそ、

人々は礼儀や名誉をわきまえるようになる、

というように教えられてきましたね。

満足に食えなければ、礼節なんて二の次だ、という意味。



しかし、私は近頃はこう思えてなりません。


「衣食足りて、礼節を忘れる」



なんか、近頃の一部の人達を垣間見ると、

礼節や日本人としての「恥」とでも言いましょうか、

どこかに置いてきてしまったような感ありです。


ここで言う所の「礼節」とは、どういう事でしょうか。

震災で、食べるものや飲み水に困った人たちは、

この意味は良く解っていることでしょう。

何もなくなって、支援物資の

おにぎりや衣類が与えられ、

人の温かさを知り、

心の底から有難いという

感謝の念が沸々と

沸き起こったことでしょう。



そして、受けた恩を何とか返したい、

という素直な願望も起こったと思います。

自分のできる範囲で、

何とか役立ちたいという

想いにかられた人も多い事でしょう。

それが「礼節」の第一歩

なのではないでしょうか。




物質的に貧しい時のほうが、

礼節を知っているのではないか。



なにも、礼儀正しいことが

「礼節」だけだということは無いですね。

空腹と寒さの中の温かい食事をいただいて、

まさかもらって当たり前なんて思う人はいないですね。




数日前の夜中に目覚めた時、

このテーマでブログを書こうかなと

考えていた時でした。

「礼節とは神との約束を果たすこと」

という波動が響いてきました。



これは、いつもそうなのですが、

「言葉」として耳で聞こえる音声ではなく、

心の奥に直接語りかける「波動」として感じるもの。

「霊聴」とでも言うのでしょうね。


神との約束?

何か約束したっけか?


何て思ってしまうでしょうね。



私は、すぐにピンときました。

日頃から、私は他人や世間の動向は

ほとんど気にせずに生きることを決めております。


現代人の「礼節」は、

ともすると他人や世間に対して

どういう礼を尽くすか

という事に決めつけてしまっています。

しかも、相手がどう思ってくれるかという、

人の顔色をうかがいながらの礼節!?


「そんなことは世間の常識に照らし合わせてみて、」

適切かどうかが礼節の指針になっているのが人の常。



また、人の道に反することはしない、

というのももう一つの指針。


しかし、ここで考えることは、

世間や人の道というのは常に変化しています。

その時代時代に、目まぐるしく変わっています。




そういう自分以外の

外部のものを生きる目安とした場合、

世渡り上手にはなるかもしれませんが、

しっかりと大地に根を下ろした

生き方とは思えませんね。




時空を超えた、神との約束を

果たすことが礼節だという。

それは、どういう事か。



まず、私達は自分という存在が

大いなる意志なしでは

ひと時も生きられないという事を

認識しなくてはいけませんね。

自分は、自分で生きているという

考え方は成り立ちません。



自分の意志で心臓を動かしたり

止めたりもできないし、血流も然り。

お金があったって、

食料を生産する人、

物流としてそれを運搬する人、

売ってくれるお店が無ければ

何も食べられません。

全てがこれですね。


自分一人で生きているなんて、

思えるわけはない。

傲慢の最たる考え方。



生かされて生きているという事ですよね。

だから、周りに感謝しなくてはならないという事は、

誰でも頭では認識できますね。



感謝する先の極みは、

やはり大いなる創造を司る神(天)となります。



今、神の経綸は

生命体である地球の

アセンションにかかっている

と言われています。


これを成就することが、

神の大いなる意志であります。

地球のアセンションは、

神と地球、そして人類の共同作業です。



これに関われる人類は、

統合意識に至った人か、

(解脱に至った人)

統合意識を深く意識した人

(解脱を目指して求道している人)

に限ると言われています。




この大切な稀有な時期に、

私達は日本人として生まれてきています。

大いなる神との約束のもとに。



そうなんですよ。

遠い過去生で、

神と約束をして

いたんですね。




3次元の重い波動に阻まれて、

転生を繰り返していくうちに、

すっかりと忘れてしまった私達。

それを、思い出してほしいと

いう事なのですね。



人や世間を相手にせず、

神を天を相手にせよという事。


この事が、「礼節」の極みなのです。



これが、その時に届いた天からのメッセージでした。









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Last updated  2011.06.16 04:05:25
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