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2011.08.07
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カテゴリ:アセンション


ようこそ、お越し下さました。




例年ならば、連日が海水浴の人達で一杯の網地島。

よく冗談で、こんなに人が来て、

「島が沈む!」なんて言ってたけど、

本当に沈んでしまったのですね。

(130cmの地盤沈下)

今まで、海藻やウニ、ツブ貝なんか

採っていた磯が無くなりました。

切り立った崖を降りていくと磯場があり、

そこで磯遊びしながらお弁当を広げ、

楽しんだのも昨日のことのようです。


今は、崖を降りればすぐに

海になってしまっている。

その崖を海水が侵食して、

少しづつ崩れてきていて、

痛ましい限りです。

見守っていくしかありませんね。



IMG_1106.jpg

イワシが湾内に大量に入ってきていて、カモメがそれを狙っています。


浄土真宗の開祖、親鸞聖人の言われている

「非僧非俗」

という精神について考えてみました。

「僧にあらず、俗にあらず」とは、何か。



「俗」を調べてみまると、

いかにもありふれていて、

品位に欠ける。

世のならわし。

その土地や時代の風俗・習慣

 品位とは?

見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、

おごそかさ。品・・・となっています。  大辞林



親鸞聖人の活躍した1200年代の俗と、

現代のそれとは若干違うと思われます。

しかし、聖職者である僧の僧たる姿は

時代に関わらず同じでなくてはなりません。



当時の僧侶は、朝廷から認められた

国家公務員みたいな存在です。


その遥か以前に、

聖徳太子は国家の平定に大切な

国是として仏教をあげました。

その時から僧侶とは国にとっては特別の存在です。

そもそも僧侶とは、

乱れた人心をまとめ上げるべき

存在で聖職とされていましたね。


ところが、比叡山に修行していた親鸞は、

僧侶同士の争い、重要ポストの奪い合い、

派閥、僧兵として戦う姿、

里に囲っている妾、男色等に

まみれた比叡山の僧侶を、

親鸞はずっと見てきました。

そして、親鸞は比叡山から学ぶもの無しと感じたのか、

山を下りて法然上人のもとに修行の道を求めます。




当時の仏教は、公家と上級武士のみ相手にしてきました。

一般民衆は、今日生きる事さえ

ままならない、そんな時代でしたね。

そして親鸞は悩んだ末に、

「肉食妻帯」という事は

大罪であることは

勿論自覚していながらも、

煩悩にまみれて生きる衆上を救う上で、

自身も煩悩にまみれようと決心した。

そうであるならば、

「僧」とは言えないのですね。



折しも、越後に流罪となった時、

朝廷から僧位を剥奪されましたね。

僧を辞めさせられたことと、

その当時の在るべき僧の姿を見て、

「僧に非ず」としたのでしょうか。



「俗に非ず」は、心からの仏への帰依に

露程(つゆほど)の揺るぎは無く、

衆上の救済に命をかけるという

覚悟の表れかと思われます。




俗の反対に位置する漢字を調べてみました。

聖、無、清、尊、空

と続くようです。

やはり、一般的人間からすると、

神に近づいた存在が発する波動を感じますね。



しかし、肉体を纏って生きて行く上で、

衣食住は欠かせません。

それには、どうしてもお金も必要になりますね。

これから、アセンションを目指す人の生き方として、

どの程度「俗に非ず」の生き方をした方がいいのか。


俗の中にいながらも、

俗にまみれない


という事がいいのかな。



画家で詩人の葉 祥明(ようしょうめい)さんは、

「天命に生きる 神渡良平著」の中でこう言ってます。

「僕は、昔は自分のエネルギーの9を自分のことに使って、

残りの1をボランティアに使っていた。

ボランティアでは食っていけないと思っていたから。

でもイエスは

「天の言う通りにすれば、

天はあなたが食べていくだけの

ことくらいはしてくださいます。」

という意味のことを言っており、

僕はそれを信じたのです。

今は時間とエネルギーの9をボランティア、

残りの1を経済活動に充てていますが、

収入は全然減っていないんです。

それで、一層確信しました。」




私の考えと似ているんですよ・・葉さんって。

彼も、調和に生きているのでしょうね。

人は、恵まれたごく一部の

人だというかもしれません。


天の用意して下さる世界に

飛び込む勇気のない人の

言い訳に聞こえます。



結論から言えば、

非俗とは意識において

3次元を超えること・・・


だと思います。



この意識は、

やはり統合意識、

つまり「解脱」に至る

アセンションに至る

道でもあるのですね。

IMG_1104.jpg

向日葵らしい?向日葵に思えました。








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Last updated  2011.08.07 12:13:55
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