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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 震災から6か月が過ぎ、 各地でいろんな行事が 行われているようです。 あの時の教訓をいつまでも忘れずに、・・・ という事なのでしょうけどね。 私の場合は、すぐにページがめくれるように、 過ぎたことを引きずらない生き方をしていますから、 あまり6か月という事に意識はありません。 勿論、大きな学びとして 忘れる事はできませんけどね。 さて、ヤマト民族の文化と言うか思想と言うか、 そんなことをつらつらと書いておりますが、 それに関連する記事を見つけました。 来春から使われる高校英語教科書に、 日米を代表する漫画のヒーローを登場させて 日米文化を比較しているというもの。 登場するヒーローは アメリカはスーパーマンで、 日本はアンパンマン。 「スーパーマンは1人で悪と戦うけれど、 アンパンマンはたくさんの友人と一緒に バイキンマンと戦います」というもの。 両ヒーローの戦い方が米国の個人主義と、 日本の協力主義の違いが書かれている。 さらにアンパンマンは、 毎回物語のヤマ場で弱った主人公を 仲間全員が助けて戦い、 最後には悪に勝つというパターンで描かれており、 結果に重点を置く米国人に対し、 日本人は過程を重要視する傾向に あるという価値観の違いも説明されている。 なるほどね、こう説明をされると良く解ります。 複数の人で事に当たるという事は、 そこには協調性や他を思いやる心が必要です。 自己の主張よりも、 そちらを大切にしないといけませんね。 複数の個性の中で、 同じ方向性を維持することは 「調和」 がポイント。 そして、結果よりも過程と動機が大切にする日本人。 よく、「結果オーライ」という事を聞きます。 結果が良ければ、何をしても許されるという事。 この思想は、やはり欧米に見受けます。 私の近頃は、はっきり言って 結果なんてどうでもいいと思っている。 どんな結果でも、 すべてが帳尻が合って 辻褄が合って、 上手い方向に進むように なっているのを感じます。 たとえ、目指している試験に合格しなくとも、 次の素晴らしい人生が待っている。 たとえ津波に流されて、 そこにマイナスに見える事が生じた場合、 すぐにその埋め合わせがやってくる仕組み。 家族が犠牲になったという場合、 3次元の肉体を失った人は、 その人にふさわしい世界で 多くの仲間と一緒に 新しい人生に向かって 生きている。 悲しんでいるのは、 残った者だけ。 葬式も坊さんも、 墓も戒名も、 悲しみを引きずっている 残された人の為にあるもので、 亡くなった人の為にあるわけではない。 結果を大切にする欧米人の多くは、 「死ぬ」という結果であれば負けを意味する。 勝ったとか負けたとか、 何も意味を持たない言葉。 日本人は、どう生きたか、 何をやろうとしていたか、 という「動機」と「過程」が意味を持つ。 そして、自分と違った考え方を尊重できる、 余裕と「愛」を持ちたいですね。 こんなことを考えていると、 ますます日本人でいる歓びが、 沸々と込み上げてくるのですが、 こんな風に思うのって、 私だけですかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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