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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 めっきりと秋めいてきましたね。 ついこの間まで、熱中症に注意という毎日でしたが。 お客様にお出しする器が、 先の地震で半分以上が破損しました。 「晴耕雨読」の料理を盛る器やワイングラス、 コーヒーカップ、湯呑みなんかは、 結構お客様から評判がよく、 私も大変気に入っていたのですが。 もちろん、自分達で長きに渡って 集めてきたものですから、 私好み丸出しです。 今年の夏は、観光客は全くと言っていいほど 来島されていませんでしたから、 器の不足はあまり感じられませんでした。 そういう事情を察して下さった方から 「よかったら使って下さい」 と言われて器を送って下さった 方もいらっしゃいました。 とっても、有難かったです。 来年以降を考えると、 やはり不足を補わないといけなくなります。 そこで、11月3日から 益子で昨年も行った 陶器市が開かれるという事で、 行ってみようと思っています。 予算があまりないから、 最低限の物しか買わない予定。 でも、いいものを見てしまうと 欲しくなっちゃうから注意しなくてはね。 有難い事に、高速料金は6月20日まで無料でしょ。 定期巡航船が通常に戻っていないのと、 マイボートが流されて無くなたこと、 港の陥没で船が着けづらいなどの理由で、 3月の地震から、私とカミさんは 島から一度も出ていません。 島で、やる事がたくさんある というのも理由の一つです。 今でも観光とか娯楽とか、 自粛ムードなのかな。 今回は、「器の買い付け」を理由に、 もう少し足を延ばしてみようかなと思っています。 10日位ですから、長旅ではないですね。 (長旅なのかな) 毎年行かせてもらっている 西国巡礼の旅の話を友人にすると、 「そんなに長い間夫婦二人でいて、 よくケンカしないね。」とか、 「3日が限度」 なんて言われます。 私らは、30日くらいの旅の間、 確かにケンカのようなものはしないですね。 その秘訣とでも言いましょうか、 私の旅観?は、と問われれば、 やはり 「調和」 かな。 大げさに言えば、 いまやっている旅は 自己中の私に長きに渡って 一緒に歩んで来てくれた カミさんへの恩返し みたいな感ありですね。 何せ、30代後半までの過去の私は 極悪非道?というか、 殆ど母子家庭状態だった。 そういう生き方に見切りを つけ始めたのがヨット遊びかな。 それも、いつもカミさんと 二人でヨットで生活し、海に遊んだ日々。 そして、子供達やゲストを乗せてセーリング。 真冬でも、週末は毎週ヨット遊び。 そして、その延長線上に あったのが島の生活でした。 いつも、私に最上級の理解を 示してくれていたカミさんに対し、 非日常という旅の中で 私も最大級の理解を示したい。 価値観の相違があれば、 それを受け入れ楽しめる ゆとりの道中です。 物事や生き方の美意識は、 確かに私達は似通っているのかな。 夫婦で争う愚かさは、 充分知り尽くしていますからね。(笑) たくさん癒されてきたから、 少しでも癒してあげたい。 「ケンカするほど仲がいい」と言われますが、 これってそうではないような気もします。 仲がいいとか悪いとか、 見た目で判断することは その本質はつかめないでしょう。 日常の生活の中では、 日々の雑事に追われて、 本当の自分を表現することは 難しいのが実情です。 (お金や職場、子供の事とかでね) 生きて行く上での多くの柵(しがらみ)の中で、 ともするとそれが人生のすべてだと 思い込んでしまっている人もたくさんいます。 旅とは、そういった 日常の柵(しがらみ)から 抜け出た本当の自分を 表現できる世界なのですね。 まあ、私の場合は、 島に移住したこと自体が そこから抜け出す近道だと 思ったからに他なりません。 島で生活していること自体が非日常なのに、 更にそこから長旅に出るという事は、 非日常を通り越した 「解脱に至る道」 なのかもしれません。 私とカミさんが、何の意味や理由で 夫婦になっているのかという問いかけがあります。 過去生からの連綿とした繋がりの中で、 すべての人が今生で3次元の使命を 成就しようと転生しています。 3次元での使命とは、 言わずと知れたアセンション、 解脱することだと思われます。 その使命を成就するための ベストマッチングが夫婦であり 子供であります。 だから、ゆめゆめ安易な離婚や 争う事は避けなくてはいけません。 最上級の「愛」を完結しなくてはね。 欧米に見られる「愛してる」 という言葉の連発もいいけれど、 「愛」は言葉には現れませんね。 その行いから、波動から感じるものです。 目に映るものや 耳に入ってくることは、 真理とはほど遠いもの。 「愛」の完結という3次元の使命を忘れて、 しがらみという雑事に忙殺されるのは、 とっても愚かなことですね。 私達夫婦が「調和」という 美しい響きの中で 高く昇華することが、 今生での結願を意味します。 それが、私達が夫婦をやっている 大いなる意味であり理由なのですね。 だから、私達の旅は、どこに行った、 何を見たなんてどうでもいい事。 言葉にならない、 言葉にする必要のない、 言葉に出してはいけない、 心の襞のその奥からの 波動のやり取りです。 その美しいやり取りを、 ずっと受け継いできたのが大和民族ですね。 日常の雑事から解放された旅のさ中、 自分が心から待ち望んだ 「自分」 を発見できるかもね。 暗雲のむこうには薄雲が、 そして、澄んだ青空が・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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