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カテゴリ:アセンション
ようこそ、お越し下さました。 以前にある方から相談を受けた時、 ちょっと気になることがありました。 その人(Aさんとしましょう)は、 家族を含めた多くの人の中で生活しながら、 アセンションを意識して生きている方です。 その中でAさんは、 自分の生き方とは幾分かけ離れた 考え方や生き方をした 配偶者の母親と数年前から 一緒に生活をすることになり、 その事で悩んでいました。 食事のとり方から家事のやり方、 テレビの選局から趣味のほとんどが 合わないそうです。 最初は、仕方がないなと思いながら、 理解に努めたようです。 1年が過ぎ2年が過ぎ、 二人の溝は埋まるどころか平行線のまま。 何とか歩み寄ってやって行こうと、 更に努力したそうです。 近頃は、大きなストレスを 感じるようになってしまったとの事。 嫁、姑(しゅうとめ)というこういう話は、 世間でよく聞く話ですね。 しかし、本人にしては大きな大きな問題のようです。 家を出ようかとまで考えている。 「どうしたらいいの?」と。 私は、いつも通り淡々と、 すべてを聞き終えてから話しました。 まず、Aさんと姑さんが 同居するという事になったことは、 何かの意味を持っているという事。 どちらも、何かを学んでもらおうとした 天の配慮ではないかということです。 仕上げ段階に来た生命体である 地球自身の浄化作業の中で、 そこに住んでいる私たち人間にも その影響下にあることには違いありませんからね。 いわゆる「やり残した宿題」です。 このことは、Aさんもよく認識していました。 次に、「受け入れる」という意味です。 何を以って「受け入れた」とするのでしょうか。 Aさんは、姑を好きになることが そうだと思ったようです。 そして、好きになるよう努力を重ねたのですね。 その結果、姑の生き方を好きには なれないと結論付けてしまった。 ここで問題なのは、 「受け入れる」という事は、 何も「好き」になる事ではないですね。 もちろん、「好き」になり、 心から「愛する」ことが出来れば それに越したことはありません。 ここで考えなくてはいけないことは、 人の人格と 人の表現は 別物です。 私達は、ともすると表現している 趣味や言動や考え方が人そのものだと 勘違いしている向きがあります。 確かに、肉体の目や耳で確認できることは、 その人の表現する言動ですね。 でも、それは多次元宇宙のようなもの。 あんな面在りこんな面在りで、 横の広がりを見せ、 更には低い波動を呈する表現をすれば、 その逆に天使かと見まがうかのような 高さをも見せます。 どれがいったい貴方なの、 と言いたいくらいね。 人格と書きましたが、 正しくは霊格です。 霊格は、何度生まれ変われども、 連綿として引き継がれているものです。 その格を昇華させながらね。 よくこのブログでも書きますが、 背負っている荷物によって人は変わります。 いつもと違った非日常に浸かり、 背負った荷物を下ろせば、 その人の人格や霊格が頭をもたげます。 だから、人の表現を見て、 人は判断できないという事ですね。 更には、結論めいた判断はしない というのがいいのかな。 「受け入れる」という事は、 その人の表現なんかは そっちへ置いときます。 自由な表現を許されている私達が 「人を受け入れる」という事は、 その人の霊格を尊重し認め、 受け入れるという事でしょうか。 目に見えるものは、 私達の心眼を曇らせる まやかしです。 そして、Aさんに最も言いたかったこと。 それは、問題の解決は外部ではなく、 内部にあるという事です。 周りの一切は「鏡」と言われます。 自分の内面を映す「鏡」です。 「かがみ」から我を取ると、 神になると言われます。 その人の霊格を尊重し 受け入れられれば、 その人に向ける波動が変わります。 その人は、その波動を敏感に感じ取るのです。 特に、上から見下ろす視線には敏感です。 霊格を信じられれば、 その時は何をしていようと 「許せる」のです。 その心持になった波動を相手に向けると、 まるでブーメランのように 取って返して自分に帰ってきます。 そういうお付き合いになってくると、 「あなたといると気が楽だ」 とか思って下さるのでしょうね。 やはり、 「自分が変われば周りが変わる、 周りが変われば世界が変わる」 というのは本当のようですね。 私達の前世からのやり残した宿題は、 やはり自我を大切にして、 相手に対して「愛」を 表現できなかったことに尽きるようです。 その事を、 ラストチャンスの今生で 成就させなさいと 天はおっしゃっています。 更に、天は完璧は求めてはおりません。 どうか自分の内面を見つめ、 自分の美意識が上だという 思い上がった気持ちは捨てましょう。 Aさんと話をして行く中、 これは全く自分にも当てはまるなと、 身が引き締まりました。 ある程度、波動が高くなりつつある者の、 嵌りやすい落とし穴ですね。 (全部、自分に当てはまります) Aさんは、すっかりと秋晴れのように 晴れ上がった顔で帰られました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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