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カテゴリ:旅
メールはこちらから ようこそ、お越し下さました。 今回の旅の拠点も、 やはりウィークリーマンションです。 生活する一切が完備された、 短期賃貸マンション。 場所は、金閣寺のすぐ隣。 日中は、観光客が絶えない所。 昨日は、街中から一両編成の 電車に乗って嵐山駅へ。 電車に乗るのは、10年ぶり? まるで遠足で電車に乗った子供のように、 一番前の位置に張り付いていました。(笑) 線路脇の桜が満開だったら、さぞ美しかったでしょうね。 でも、そしたら人で動けないというお話も。 さて、どっちがよかったのやら・・・ まだ、時間が早かったため、 とても静かな嵯峨野路を散策。 嵯峨野の道端で微笑んでいるお地蔵さん そして、ここのお目当ての一つ、 祇王寺へ。 嵐山から奥嵯峨野に入ってしばらくの所。 平家物語で語られた悲恋のヒロイン 白拍子・祇王、祇女姉妹ゆかりの尼寺です。 まったく派手さのない、「庵」といった質素な門構え。 白拍子(しらびょうし)祇王(ぎおう)の話は、 “祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…” で始まる「平家物語」の巻第一「祇王」で語られています。 平安時代末期、時の権力者であった 平清盛(1118~1181)に 寵愛されていた白拍子・祇王は、 ある日の出来事で突然捨てられてしまう。 悲しみの祇王は、母と妹とともに都を去り、 山里で尼となり生涯を送ったという話。 苔の美しい庭でした。 竹林と竹垣の通路も美しい。 祇王は18歳の時に母・刀自(とじ)に連れられて、 妹・祇女(ぎにょ)とともに京へ出て 白拍子の生活を始めます。 白拍子とは?平安時代後期に流行した歌舞の一つです。 都での祇王と妹の祇女二人の歌と舞いの見事さはたちまち評判となり、 当時の最高権力者である平清盛の知るところとなります。 ある日、清盛に呼ばれた祇王は御前で舞うこととなる。 清盛は、祇王の見事で気品のある舞い、 そして何よりもその美貌に心を奪われ、 直ちに自分の別荘・西八条殿に住まわせ寵愛しまし。 清盛の寵愛を得た祇王は、母や妹の面倒までもみてもらい 何不自由の無い生活が始まります。 そんな時に現われ出たのが加賀国(石川県)から出てきた 16歳の仏御前(ほとけごぜん)という名の白拍子。 仏御前の舞いも見事なもので評判となり、 その自信からか仏御前は清盛の屋敷へ行き、 舞をお目にかけたい申し出る。 祇王を寵愛していた清盛は 「祇王より上手い白拍子がいるはずも無い」と門前払い。 それを見ていた心優しい祇王は、 自分も舞を見ていただいたことがあったので、 仏御前を不憫に思い「一度だけでも…」と清盛をとりなしたのである。 寵している祇王の申し出に、清盛も仕方なく仏御前の舞いを観ることにした。 最初はイヤイヤ見ていた清盛も、見事な歌と艶やかな舞いにたちまち心を奪われ、 昨日までの祇王への寵愛はどこえやら、心は仏御前に移ってしまい 「ここに居よ。」と清盛に言われる。 仏御前は、それは本意ではない「舞いをお見せしたかっただけ、自分は帰る」 と願い出たが聞き入れられることではなかった。 あろうことか清盛は、 「仏よ、祇王に遠慮するな。お前がそのように言うのは、祇王がいるからだな」 と祇王を屋敷から追い出してしまった。 祇王は、あまりにも突然の清盛の心替わりに驚き、涙ながら屋敷を出てという。 その後も清盛は無神経さを発揮している。 ある日、祇王の家へ清盛の使者が訪れ 「仏が退屈しているので参上して慰めてほしい」という。 祇王には行く気もないので断ろうとしたが、 母に諭されてやむなく参上し舞うこととなる。 元々、祇王に気のない清盛は、一舞いすると帰してしまう。 この清盛の無神経さ、悔しさ、悲しさに祇王は自害しようとするが 母の必死の説得で自害は断念するも、世を捨て仏門に入るのである。 この時、妹・祇女そして母・自刀も髪を剃り、 三人で嵯峨の山里にあった小さな庵(今の祇王寺)で 念仏三昧の静かな暮しに入るのである。 時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の表戸を叩く者がいた。 恐る恐る表戸を少し開け、隙間から覗くと、そこには白い衣で覆った仏御前の姿があった。 仏御前は涙ながらに 「もともとは、舞いを認めてもらいたい一心で清盛様の前で舞ったもの。 心ならずも祇王様を追い出しことになり、悔やまれます」と、 切々と自分のとった愚かな行為を憂いた話をした後、 覆っていた白衣を脱ぎ捨てる。 そこには髪を剃った仏御前。 仏道に入ろうと決意してやって来たのである。 この姿をみた祇王は、 「まだ17歳の若さで現世を捨て、往生を願うは真の大道心」 と快く庵へ迎え入れ、その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした4尼は 往生したと書かれている。 と・・・ちょっと長かったけど、お許しください。 祇王、祇女、刀自の墓 祇王の木像 「驕る平家は久しからず」ですね。 戦国武将の陰で、 大義の前に踏みつけられてきた存在が 今も昔もあるのですね。 私も、組織の中で生きてきた時代に、 同じようなことをしてきたのかと思うと、 心が痛みます。 だからか、以前は結構好きだった 覇を争う歴史物は、 今は一切触れません。 戦うことや競うこと、 争うことの愚かさを、 60歳にして知らされましたから。 島に移り住んで20年、 やっと少しずつ人らしくなってきたのかな。(笑) 仁和寺のツツジです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.04.05 05:02:27
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