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カテゴリ:旅
メールはこちらから ようこそ、お越し下さました。 今回の旅は、結構いろんなところを駆け巡っています。 軽井沢から栃木の益子へ移って、ちょっと器のお買いもの。 益子からすぐ隣の茨城に移って、 袋田の滝に寄り道。 ここは、日本3名瀑の一つだそうです。 ちっとも、知りませんでした。 その3つとは、那智の滝、日光華厳の滝、そしてここ。 シーズン前のため、どこに行っても 観光客はほとんどいません。 人混みが苦手な私にとってはラッキーです。 茨城から、今度は仙台を通り越して秋田に移動。 東北の小京都として有名な 角館のしだれ桜はどうかなと、・・・ やはり、ここもまだ冬の真っただ中。 今年の桜は、5月連休あたりとか。 それじゃあとなって、お昼ご飯でも食べて、、、と。 秋田と言えば、比内地鶏。 その比内地鶏を使った 親子丼をいただきましょう。 比内地鶏は、地産地消で 県外流失はなされません。 地元に行かないと、 食べられない比内地鶏。 親子丼と言えば、 いつも行く「十兵衛」さん。 武家屋敷が並んだところを ちょこっと離れた所に。 地鶏と地鶏の卵を2個も使った、 豪華な親子丼。 1575円と、少し贅沢なランチですが、 美味しい出汁のきいた お吸い物といぶりガッコ、 キノコの白和えもついてですから、 決して高くはないですね。 (食べるのに夢中で、写真撮らなかった) そして、その日からの宿、 角館から1時間くらい離れた 湯治場に向かいます。 旅をしながら思うこと。 その場所場所に、人がいて 生活があって、生き方がある。 1億2000万人いれば、 その数だけ生活があり生き方がある。 一人の人間ですら、 こんな自分あんな自分、 それの正反対の自分もいて、 その時の波動のレベルで多次元的な自分、 多種多様な自分を生きている。 そのすべてを受け入れ許し、愛したい。 でも、まだまだそれが出来て いない自分を時々発見します。 一口に言えば、我の強い自分が 時々顔をのぞかせる。 好きになれない生き方を している人と交わる時、 完璧に許しきっていない時がある。 どんな生き方だって自由だと、 口で言って、心で思っていながらですよ。 その発端は、きっと私の 少年期にまで遡るのかもしれない。 いや、もっともっと前の、 前世からの宿題のような気がする。 今生では、子供のころからの貧乏生活。 絶えることのない両親の夫婦喧嘩、 そして中3の時の離婚。 自分が強く生きていかなければ駄目だった。 非行と暴力の中で、勝って行かなければならなかった。 18歳で今のカミさんと出会い、 19で結婚、20で父親。 家族にだけは、自分が味わった 貧乏だけはさせたくないと、しゃかりきに。 23歳くらいから、 数十名の組織のトップを任され、 そのほとんどの部下が自分よりも年上で、 舐められちゃあいけないと 背伸びのしっぱなし。 その時は、自分の個性を強烈に前面に打ち出し、 どうあるべきか、こうあるべきだと いうものを確立してきたのかな。 だから、自分がこうあるべきと信じていることに、 その範疇にはいらない人は受け入れられなかった。 議論して、論破するのが好きだった、快感だったのかな。 「戦って勝つ」というのが、 自分と家族を守る唯一の方法と考えていた。 その生き方を、島に移り住む少し前まで、 ずっとしてきたように思います。 40歳くらいになって、 なんかおかしいと気付き始めて、 今までのそれら一切を捨てようと 決心したのが島に来てからか。 そして、かれこれ20年。 もう一度、原点に帰ろう。 今までのことは、過去生からの宿題として生きてきて、 もうかなり天にお返ししたと思われます。 (勝手な自己評価?) 3次元という制約の多い次元に身を置いて、 統合の中で「個」を生き、 「個」に生きながら 「個」とは「無」なのだという 宇宙の真理を認識する。 今となっては、 さして難しいことでは ないと思われるのですが、 「満足」の領域には 至っていないのかな。 旅というのは、 日常を解き放った 状態の連続です。 「目」で見えているのは虚像で、 義務や権利、常識や日常を 解放した時に見えてくるものが、 自身を高みに導いてくれる 道標であろうと思います。 こういう旅をさせていただけることに、 心から感謝いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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