|
カテゴリ:アセンション
メールはこちらから ようこそ、お越し下さました。 ペンション晴耕雨読のホームページをアップしました。 http://www13.plala.or.jp/seikoudoku/ 以前からのHPは、ある事情により閉鎖してしまいました。 それから、多くのお客様から問い合わせ等があり、 それではということで急きょ安直なHPを作りました。 今回のは、いたってシンプルで 簡単なもので月額480円のHPです。 今後少しずつ、体裁を整えていきますね。 さて、今年の暑い夏は平年なら30度に届く日は少ない島でも、 連日それを裏切られています。 でもここに来て、朝晩はすっかりと秋めいてきて、 早朝ジョギングの再開ができるようになりました。 お客様も、ぐっと少なくなりましたからね。 やはり、夕方よりも早朝の方が走るのに気持ちがいい。 朝食前だから、走るエネルギーは 体の中に貯めこんだ脂肪を燃やします。 その燃焼度は、夕方の1.5倍とか。 まず、血中脂肪から始まり、 内臓脂肪、皮下脂肪と移ります。 疲れの原因である乳酸が筋肉に残らない程度の 心拍数で走ればいいのですけどね。 心拍数を120程度に抑えればいいのですけど、 どうもそれ以上に走ってしまう。 今は、平均で125~135くらいか。 これは、有酸素運動と無酸素運動のギリギリの境。 ただ、走った日の午前中は、 少し下半身に疲れが残るかな。 8kmを60分かけてゆっくり走るのですけど、 高低差100mのアップダウンがありますから心拍数も上がります。 61歳という年齢からすると、少しやり過ぎかも。 いつも、折り返し地点のお地蔵様に手を合わせ、 こうして自分が存在していることへの感謝の気持ちを伝えます。 そして、般若心経を唱え、マントラを唱和する。 最近は、この般若心経にのめっています。 「般若」とは、 「人には知ることのできない原理」 を指すそうです。 ここで言うところの「人」というのは 一般的衆生を意味します。 多くの一般大衆には、 とても知り得ぬことのない 宇宙の真理を「般若」というのですね。 般若心経は、それを解りやすく紐解いた 大乗仏教の入門書と言えるかもしれません。 そして、般若心経を語るには、 避けて通れない 「唯識思想」 があります。 「唯識」は、4~6世紀にインドの 無著(むじゃく)と世親(せしん)によって 大成されたものが日本に伝わったもの。 私がよく引用させていただいている 「目の前に展開される現実とされるものは、 自身の内面の投影である。」 という考え方が、この「唯識思想」です。 般若心経の「空」という思想、 「無」という概念に通じます。 これは私の・・・否、求道者の永遠のテーマでもあり、 これからも当ブログで私なりの観方を 展開していきたいと思っています。 さて、唯識で言うところの 「内面の投影」というのは何なのか。 これを一言で言えば、 自分自身の波動レベルが どれだけかということかな。 刹那刹那の波動ではなく、 過去生から今生までの 総合的波動レベルを意味します。 未精算のカルマから、 3次元世界の最終章と言われる 今生での「調和」レベルが問われます。 その調和の度合いによって、 現実が展開されていくということか。 糖尿病で例えるなら、 採血時の血糖値がどうあれ、 血液中のヘモグロピンA1Cの数値が、 過去数か月の実態を写し出す 「糖尿病値」ということを 内科医の先生が言われます。 人間の波動とは、 もっともっと長期のスパンでの 総合人間力とでもいえるのでしょうね。 勿論、現実とされる事象に、 本人がどう向かって行くかが 調和度を高めていく要諦であるのは ご承知の通り。 不都合な現実が展開された時、 学びの為の不都合ですから それを逃げていたのでは 前には進めませんね。 そこには「感謝」という、 調和に戻す強力なすべを為せば前進できます。 そしてまた不都合、それを感謝。 更にまた・・・・・ これの繰り返しで、波動レベルがどんどん上がり、 目の前の現実から一切の不都合が消滅されていきます。 私が島に移住しようと決心した20年前、 子供のころからの極貧生活から 家族には金の苦労をさせたくないというトラウマが育ち、 強かったお金への執着心。 その命の次に大切と思っていたお金が、 どんどん強制的に奪われたあの頃。 そして、島での移住先の家の全焼というアクシデント。 さらに、消火活動での一酸化中毒による入院。 生死を彷徨った中での、いただいた命。 そして、1年半前の地震と津波・・・・・ そんな、選択の余地すらない強制的な天による剥奪。 無理やり私から余計なものをどんどん剥ぎ取られ、 生かされた命のありがたさと、 心からの「感謝」を学ばせていただいた。 通常の不都合を展開させて・・・ なんていうものではなく、 もっと波動アップの スピードを速める手立てとして、 こんな形で「調和」への道をつけて下さった。 そして今、私の目の前からは 「不都合」というものは 消滅したかのような平穏な日々。 ありがたいですね。 「鏡(かがみ)から、 我(が)を取ると 神(かみ)になる」 と言われています。 私達のすべきことは、 「唯識」という大乗仏教の 哲学を学ぶことではなく、 自我が織りなす不都合という形の 「不調和に生きているよ」 という教えを謙虚に受け入れ、 それを超えて安らぎの心静かな日々を送り、 究極の目的である 「解脱」に近づこうということですね。 今日はこの辺で。 キノコ雲のような・・・・・ 田代島の向こうの、奥羽山脈にその身を隠そうとしているお日様 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アセンション] カテゴリの最新記事
|