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カテゴリ:旅
ようこそ、お越し下さました。 2013年は、民主党から 自民党に政権交代がなされましたね。 今の私は、あまり政治には興味や意識は向けていません。 選挙も、半ば義務感で投票所に行くようなもの。 なんせ島の投票所では、網地地区の 在島有権者数は80名を割り込んでいますから、 だれが来て誰が来ていないかが逐一把握されています。 だから、誰かが投票所に午後3時頃まで 来ていないとなれば、迎えにこられちゃう(笑)。 投票箱を船で本土に運ばなくてはならないので、 早めに打ち切ってしまいたいという思惑があります。 島民はそれが解っていますので、 投票は午前8時過ぎには終わっています。 こんな事情で、一応は投票所に顔を出します。 こんな投票所って、 日本にそうたくさんはないでしょうね。 まあ、それはいいとして。 先だっての衆議院選挙は、 政権を交代して自民党になりましたね。 新政権の自民党の第一の公約は、 「経済の強い日本」と聞いております。 昨日まで、私たち夫婦は京都に居ました。 活動の拠点は東大路の京都大学の近くです。 ちょうど1年前にもここに来ておりましたが、 大きく変わったことに気付きました。 1年前の京都大学の道路に面した塀や壁、 生け垣等には 「脱原発」「福島」 の看板やプラカードで埋め尽くされていました。 ところが、今年はそれが1枚もありません。 (よく探せば1枚位はあったのかな) 311から1年10か月が過ぎ、 まるでページがめくれた如く、何もない。 新政権の言っている強い経済を作るには、 余裕のある電力は欠かせません。 景気がよくなり、生活が充実することは 国民の願いでもあります。 しかし、学生は「現実の生活」よりも 「理想と信念」を選択するのが 若者の純粋さと思っておりました。 1年前に京都大学を訪れた時の、 あの強烈なインパクトを受けた学生たちの「願い」は、 単なるお祭りのアピール看板だったのか。 「少し貧乏をしてもいいから、原発はやめようよ」 という願いは、私はしっかりと受け止められたのに。 あのころの日本は、 少々の経済的停滞は我慢してでも、 原発に代わる代替え再生可能エネルギーに 転換することを強く望んでいたような気がします。 でも、国民は今回の選挙で 「脱原発」より経済の充実を選択しました。 今や「脱原発」は大多数の国民の願いではなく、 少数意見という立場になったのですね。 私が住んでいる網地島から 20km圏内に、女川原発があります。 今は稼働してはおりませんが、 311の時、女川原発の防護岸壁は14mと聞いております。 地震で1m数十cmの地盤沈下、 (網地島は130cmの地盤沈下) 女川に到達した津波は12mと、 防護岸壁には数十cmで津波にさらされる という所まで迫りました。 もし、地盤沈下が2メートルだったら、 網地島も放射能にさらされて、 島に住むことができなくなり 退去せざるを得ない状況でした。 だからか、福島の問題は とっても身近でもありました。 福島の問題も、多くの国民は 「対岸の火事」という意識になったようです。 これが、今の現実なのですね。 私は、お釈迦様の言われる 「中道」 という意識でいたいと考えております。 外部の問題には両極のどちらにも偏らない、 優柔不断と思われるような立場です。 両極のどちらも理解し、 受け入れていきたい。 ただ、これ以上に地球を汚すことは 許されないと考えます。 その中で、放射能の汚染は大きなカルマとして ブーメランの如く我々に跳ね返ってくるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.12 05:57:31
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