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カテゴリ:旅
ようこそ、お越し下さました。 昨夜お世話になった道の駅で、 Aさんという70代後半と思われる 男性と会いました。 Aさんは山形県在住で、 1年前からこの高知県の一つの道の駅に 車中泊しながら生活しているという。 その理由は、54歳になる息子さんが 一年前に仕事で高知に来て、 交通事故にあってしまった。 相手は飲酒運転の無免許という。 息子さんは、その事故で 意識不明の重体で今もそれが続いているという。 父親であるAさんは、 いつ息子に肉体の死が訪れてもいいように、 病院の傍のこの道の駅で待機しているのだと。 年金生活なので、贅沢はできないと 質素に質素にその時を待っている。 その時とは、いずれ訪れるであろう息子の死。 息子の遺体を車に乗せて 山形に帰るのだと言う。 Aさんは、今は刑務所に入っている 加害者を一切責めようとはしていない。 「すべてが運命だ!」と言っている。 Aさんは、阪神淡路地震にも遭遇したという。 その時に、大切な親友を亡くした。 その親友は車では必ず高速道路を走るのに、 あの日は一般道を走っていて奇禍にあった。 高速道路が壊れて親友の上に落下して圧死したという。 なんで下を走ったのか、今も解らない。 その事を考えると、 「あれは運命だった。」 とAさんは思わざるを得ないと言った。 少ない収入の中での 1年間にわたる車中泊。 何時、その時が訪れるのか。 早く決まりをつけたいし、 決まりはついて欲しくない・・・ その時になったら、 息子を車に乗せて山形に 帰るんだとAさんが言った時、 私は涙がこぼれてしまった。 私は言いたかった。 肉体の死は、生の一部分だと。 肉体の死は、負けでも終わりでもない、 また仕切り直しのスタートなのだと。 でも、言えるような親しさもなかったし・・・ それでもAさんの顔を見ていると、 とても「さばさば」していて、 すでにこのことも理解しているのかなとも思えた。 1年間という癒しの時が、 理不尽と思われる我が息子に降りかかった奇禍を ゆっくりと受け入れる準備ができたのでしょう。 311の津波で、 身内や友人を亡くした方々が、 ゆっくりと時間をかけて癒されて いく事を四国の地より祈ります。 この日は、28番大日寺手前10km地点から29番国分寺、 30番善楽寺、31番竹林寺まで 歩行距離 49200歩 39.3km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.25 04:18:16
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