|
カテゴリ:旅
ようこそ、お越し下さました。 今年の冬は、低気圧が頻繁に来ていて、 週のうち5日くらいが風の日が続いている島です。 移動性高気圧と低気圧が、 変わり番こに訪れるのが常ですが、 今年は違うようです。 やはり、島民の口から出る言葉は「異常気象」。 「こんなに寒い冬は今までなかった。」とこぼします。 秋からの雨も少なく、ついに秋雨前線もそっぽを向いてしまった。 作物は出来が悪く、漁も不振続き。 でも、これらは自然の織り成す営みであるので、 意味のあることと諦めてはいるようです。 でも、中には自分の都合で愚痴る人もいます。 雨が降らなければ、降って欲しいと願い、 降り過ぎればもうたくさんだと言う。 人間って、どうしても自分の都合で 物事を見てしまうのですね。 これが、人間の情というものでしょうか。 遍路路を歩いていると、 道案内をしてくれるシールが 充実して解りやすく貼られていると、 すごく安心だし有難いと思う。 そろそろシールがある頃だな~と思って キョロキョロしていて、 それを見つけるとホッとして 思わず手を合わせてしまいます。 ところが、道の分岐に 在るべきシールが無い時、 それを探します。 それでも無い時は、 地図を引っ張り出して 遍路道を確認する。 そんな箇所は、特に都市部が多く、 あえて言えば徳島市内が道に迷う。 A地点からB地点に行くのに、 何本かの道を通っても行けるのですが、 その中で遍路道はどこなのか、 示されていない個所がある。 また、間違って遍路路から反れてしまった場合、 もとに引返すのはお遍路さんにとって辛いもの。 なんせ、例えば5km先のすぐそばでも 車なら10分とかからない所、 でも、歩いて行けば60分は かかってしまいますからね。 だから、道を間違って引返すのは とても辛いんですね。 コンスタントにシ-ル案内されてきて、 感謝しながらもそれが当たり前になってくる。 案内シールが見つからなくなると 「どうなっているんだ!」と、 ネガな感情が頭をもたげてくる。 多くの方の善意でいただいた案内シールのギフト、 それがあたかも当たり前になってしまうという傲慢さ。 ふと気がついて、赤面してしまいます。 ここで、ギフトとプレゼントという 言葉について調べてみました。 ギフトは、上位の方からの贈り物という考え方で、 プレゼントは同位あるいは下位の人からの 贈り物であると記していました。 案内シールは、 善意の人の手を介して、 天からのギフトなのですね。 私達の周りにあるあらゆるものが、 実は複雑に絡み合った仕組みの中の 善意の中から生み出された 天からのギフトだと思えないでしょうか。 宇宙の営みって、素晴らしいなと思います。 「ありがとう」「有難う」という言葉、 「難しい」という文字が見られますね。 「「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、 すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味であった。 『枕草子』の「ありがたきもの」では、 「この世にあるのが難しい」という意味。」 ウィキペディアより これを見ると、滅多にない素晴らしいことが 自分自身に起こった時に使う言葉だとしたら、 昔の人はあまり「ありがとう」と言う事は少なかったのかな。 でも、今はそれとは違いますね。 その人の意識によって、 ギフトと思われるものは いくらでも身近に潜んでいます。 要は、それに気付くかどうかが問われます。 驕ることなく、 謙虚に自身を見つめ、 「ありがとう」を極めたい。 それが、3次元の輪廻から抜け出て、 本来の在るべき所に戻ることを可能にする、 今の私にとっては唯一無二の道かもしれません。 お四国に行くことが許されたのも、 その事を私に気付かせる為の レールだったように思います。 高知県室戸岬24番最御崎寺(ほつみさきじ)手前辺りからの夕日。 だるま夕陽と言うらしいのですけど、・・・ 落ち始めから、言葉無くカミさんとずっと見ていました。 我が家からの落日とは、また違った美しさ。 これもまた、素敵な天からのギフト! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.23 04:50:03
コメント(0) | コメントを書く |