1353609 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あるがままに生きる

あるがままに生きる

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

島ペン

島ペン

Freepage List

Category

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

Comments

草枕(レンマ学)@ 数の言葉ヒフミヨ(1234) ≪…阿字の子が 阿字のふるさとたちいでて…
坂田正敏@ 雨よけブルーシートに関して 島ペンさんへ ご返事有り難う御座います。…
島ペン@ Re[1]:躯体建築が終わりました(02/03) skyfishさんへ 休眠中の当方に・・・ 久し…
skyfish@ Re:躯体建築が終わりました(02/03) 初めまして、私も2x4でセルフビルドを志し…
島ペン@ すっかり 無沙汰(03/23) COCOさんへ おはようございます。久しぶり…
COCO@ Re:琵琶茶? の効能(03/23) ご無沙汰しております。 その後、いかがお…
まりりん@ Re:夏季シーズンの予約開始(04/01) 島ペンさ~ん♪ お久しぶりです たった今…
守破離@ Re:修・破・離(しゅはり)(11/21) 守破離、守破離、守破離

Calendar

2013.03.13
XML
カテゴリ:


ようこそ、お越し下さました。



私のお仕事が、ここに来て一段落いたしました。

確定申告は終わり、地域行政区の

決算資料も作り終え、一安心。

シーズンオフのこの時期、

例年では考えられないくらい

お客様もいらしてくださり、

まずまず忙しかったかな。

このことも、天からのギフト。


天から人を通じて

差し向けられた愛の形です。



困ったり、分かれ道に差し掛かったりした時、

必ず天は手を差し伸べてくださいます。

有難いことです。


これを、仮に自分の力とか

手柄とかと思って傲慢になってしまうと、

天からのギフトが途絶えがちになってしまい、

循環の輪が回らなくなってしまいます。




さて、この好循環の輪の回転を

もっと円滑にすることで大切なのは、

宇宙の真理とされる「調和」を

考えないといけません。


こんなにしてもらっているのですから、

お返しをしたくなりますね。



お返しは、幸運を運んでくださった人

だけとは限りません。

目の前の、その事とは全く

関係ないような人でいいのです。



お返しは、品物で返すという

事だけではありませんね。

笑顔を返すこと、

言葉をかけてやること、

褒めてやることでも

いいと天はおっしゃいます。


仏教では、これも「お布施」と言っていますね。



してもらって、してあげて、

それでもってプラマイゼロの調和です。

それが、「徳を積む」という事でしょう。

(私は、まだまだそれが足りないようです。)



ゼロに近づけば、広大無辺に

入ってくるのが天の懐。

その人にとって、

霊的成長を促すための

手助けになるお金、

健康、仕事と、何でも適切に入ってくる。


必要なものが、

必要な分だけ、

必要な時に。





さて、ここ網地島では

物々交換が当たり前で、

貰ったりあげたりはいつものこと。

こういう風習は、田舎に行けば

どこでも存在していますね。

大変美しい行為だと思っています。


でも、ここには知らない間に

落とし穴が潜んでいます。

それは、条件付き贈り物なのか、

無条件なのか。



人にあげたものを、

もらった人が粗末に扱ったり、

自分の希望に沿った使い方をしなかったりすると、

ちょっと文句の一つも心の中で呟いてしまう。

そりゃあ、あげた物を喜んでくれたり、

大切にしてくれたりして下されば、

あげた方としては嬉しいのは当たり前。


食べ物であれば、「美味しかった~」と言ってくれたら、

「次も・・・」と考えるのが人情かな。

逆に、何も言ってくれなかったり、

感謝もされなかったりすると、

「あいつはどうなっているんだ!」

と訝しむのも人情。




私達は、贈り物ですら無条件で

贈れないのかな、となってしまう。

人にプレゼントということで自分の手を離れたら、

相手がどのように使おうとそれは相手の自由です。

使い方まで、贈り主がどうのこうのと

条件を付けるのはおかしなことですね。

直さなければならない癖の一つかな。



挨拶だって、自分がしたいからするのであって、

相手が挨拶を返してくれようと

くれなかろうとどちらでもいい。

笑顔で話しかけても、

相手が笑顔で答えてくれなくてもいい。



相手の反応で、心が右往左往してしまうと、

せっかくのお布施が無駄になってしまいます。

お四国のお接待や案内シールは、まさしく無条件ですね。



またまた、ギフトのお話になってしまいました。



四国お遍路は、やはり札所を巡って

現世利益を得ようとすることが、

多くのお遍路さんの目的とされています。

しかしそれは、弘法大師空海の

意図したことではないように思われます。




現世利益とは、

この世で受ける息災・延命などの

仏・菩薩のめぐみのこと。



息災でないとしたら、

そうなる原因があるのが因果律の法則。


不調和と言う「因」があって、

病になったという「果」がある。

不調和に生きてるよというお知らせが、

病と言うシグナルが発せられる。

だから、調和に生きて病が治るという仕組み。



八十八ヶ所を巡るというのが

「因」ではなくて、

「感謝」と言う想いの

エネルギー(想念)が放射され、

それが因となって

「果」として息災に

暮らせるという仕組みです。



だから、札所を巡るという事は

きっかけの一つと言えましょう。

札所を歩いて巡ることは、

まさしく苦行の一つでこれもきっかけの一つです。

苦行したところで解脱することは難しいと、

お釈迦様も言われております。

苦行の後に、何を感じたか、が大切。



非日常の中、四国を巡りながら

人と人との触れ合い、

歩くことが苦しいから、

そこに織りなす人の愛や慈悲が

通常以上に敏感に感じ取ることができる。



そして、夕方の歩き終わった後の風呂や食事、

寝られることの有難さをひしひしと感じられるのですね。



こうして生きていられることが、

どれほど多くの人に支えられて生かさせていただいているか、

その有難さに目が熱くなるのです。


私の拙い文章では、

その真意が半分も伝わらないのが

残念でなりません。


四国を歩いた人は、また歩きたくなると言われています。

私も、心の中は行きたくてパタパタとしております。

この前は高知市の市中、31番竹林寺まで歩いたので、

そこから32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かって歩きます。

やはり、一か月の時間が取れるのは冬になるのかな。

それまで、もっと体力アップを図り、足作りをしようかな。

遍路路2.jpg

こんな素敵な遍路道、

1200年前、空海が歩いた道、

何かを願って多くの人が歩いた道。

死すらも覚悟して歩いた道。











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.03.13 07:59:46
コメント(0) | コメントを書く
[旅] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X