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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 島で、あらゆる面でお世話になった方が亡くなりました。 普段の私は、亡くなった方は ただこの物質世界から表現の場が移って 別の世界に新たな出発をされたんだと、 特に感慨もなく思っていましたから、 葬儀にも出ず悲しみの感情は あまり表には出さないでいました。 ところが、今回はその通夜に 出席をさせていただきました。 こういう場に参加したのは、ほぼ25年ぶり。 その理由は、亡くなった方との縁が深かったこと、 そして、私自身の「死」に対する概念に固執することなく、 もっと流動的に対応すべきだとする考えに変わってきたことかな。 要は、一般的常識に少しは合わせて、 周りとの協調性も考えなくてはいけないのかなと思ったから。 島に移り住んだ20年前、 移住をきっかけに今までの 常識とされていた一切を いったん捨てました。 島への移住の目的は、 このブログでも何回か書きましたが、 今生の自分の人生の仕上げでした。 常識をいったん捨てた後、 生きて行くのに取り入れてもいいなと 思うものだけ拾ったことは言うまでもありません。 捨てた中には、人間の「死」に ついての常識もあります。 冠婚葬祭に関する常識は、 寺や教会、マスコミや業者の陰謀? として切って捨てた。 だから、葬儀や寺の在り方にも疑問を抱き、 その行事には一切参加はしないで来ました。 私の遺言?にも、墓も戒名も要らないとしています。 島に移って、初めにしたことは、 今まで着用してきたスーツや革靴、 ワイシャツやネクタイと言った ビジネスグッズの処分でした。 その中に、礼服も入っていて、 今回通夜に出ようと思っても、 着て行く喪服がない。 急の通夜だったもので、 慌てて揃えたものでした。 世間がやっていることをそのまま受け入れて、 「皆がやっていることだから」 と安直に受け入れることではなく、 本当に必要なのか不要なのかを見極めて、 周りの人にどう思われようと 思い切って断行してきたのですね。 まあ、島という地域が それをやりやすくしてくれた とも言えましょう。 勿論、島では 「変わり者」 というアリガタイ評価は いただいておりますよ(笑) 在家にありて、 出家者の意識とでもいうのかな、 頑なに世俗に振り回されない、 だまされない自分でありたいと 思っていましたからね。 それが、ここ5年前くらいからか、少し変わってきたのは。 自身の振幅の幅を広げてもいいかなと思ってきたのかな。 一度、自分の主義主張を貫き通し、 それを熟し更に練る。 まあ、これもいいのかなと。 えっ、通夜に出てどう思ったか? それは、世間的義務を果たしたという事と、 葬儀屋の陰謀?の凄いことを 垣間見させていただきました、ハイ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.29 04:51:19
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