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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 あれから更に奥琵琶湖、湖北を堪能しました。 小谷山から賤ヶ岳とウォーキング。 戦国時代の織田軍の秀吉と 浅井朝倉の戦いとなった古戦場だった所ですね。 「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」は、 芭蕉が奥州平泉で歌ったとされる句ですが、 ここもその句の通りのたたずまいを呈しておりました。 人類の歴史を振り返れば、 人は「戦いの歴史」とも 言われています。 人の源流に流れている性(しょう)は、 「善」か「悪」かという問いかけに、 今では多くの方が「善」と答えるでしょう。 私もそう思います。 縄文時代から弥生時代に入り、 狩猟中心から農耕を中心とした 定住型にヤマト民族は進化した。 狩りをして、獲物を獲り尽くせば 移動するといった生活パターンから、 家を作って一カ所に定住して種をまき、 それを収穫して生きるという それまでに比べると安定した生き方を選択した。 安定したはいいが、 そこには収穫したものを 盗む集団も出てくる。 そこで部族を形成し家族を、一族を 守るために盗人集団と戦わなくてはならなくなった。 時には気候の変動で収穫が期待できない時は、 自らも盗人として他の部族を襲うことも余儀なくされた。 部族という組織をより強固にするため、 リーダーを決め、ルールを作り、 罰則も設けられた。 より豊かな生活がしたいという小さな欲から、 他人を陥れてまでも欲しいという 「欲望」と発展していくのには無理がない。 そして、その欲望を十二分に果たした者を、 世間では英雄と呼んでいる。 世には、その英雄伝なるものを あらゆるメディアで紹介し 「君もそうなれ」と言わんばかりにもてはやす。 人類の発展途上の姿なのか。 私も、島に移り住む少し前まで、 ご多分に漏れず「闘争型」だったかな。 悲しいかな 「人生勝ち取らなければ意味がない」 とまで思っていたかも。 人には、百人いれば 百通りの価値観がある。 百通りの美意識に、 自分の「美」に似通っている意識の人は3割程度か。 他の7割の「美」は、 自分とは少しかけ離れているのかも。 ここで言う「美」とは、 何が「美しい」と思えるか、 何を選択したいかという意識です。 旅をしていると、 島にいる時よりも いろんな生き方に出会います。 目や耳から入ってくる情報は、 まずあてにはなりません。 我が家で作っている野菜は、 見た目は悪いけど味はいい。 人もそれと同じか。 だから、見た目でその人のすべてと 決めつけることの愚かさを知るべきなのかな。 私が今、このことを書いているという事は、 その愚かさを知らない自分を発見するという事。 口先で「何でも許せる」 「一切を受け入れる」 自分でありたいと願いながら、 まだまだできていない自分を 旅先で発見する。 考えてみれば、「許す「「許せる」という言葉すら、 上から下に発する言葉の一種かもしれません。 何が上で何が下なのか、??? 3次元的に言えば、 それは霊的進化の度合いでしょう。 そんなことを言っていられるのは、 今のうちかもしれないね。 何か、とりとめのない言葉を羅列いたしました。 のんびりとした旅だから、 ふとそんな事を考えちまった。 中央に見える島は、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.24 08:43:47
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