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2014.05.27
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カテゴリ:人生観


ようこそ、お越し下さました。





遅々として進まない震災後の復旧工事。

今、網地港の工事を請け負っていた業者さんが

この3月23日をもって

工事の途中で皆撤収しました。

工事車両も引き上げ、現場事務所も解体した。

入札不調という事で、業者が決まらないと言う。

何ともお粗末な、事態です。

そこには、役所と業者の計算や

駆け引きが見え隠れし、悲しい限り。

そして、役所の工事計画だけは

どんどん進み、計画の住民説明会が開かれる。



今回も、海沿いに防潮堤なるものを建設したいと言う。

その高さは6メートル。

まるで、刑務所の塀のような高さ。

海が見え、船が行きかい、

波が打ち寄せる、

今までの海辺の景色が一変する。




網地島での311で亡くなった人は一人もいなかった。

それは、海が見えてたからだ。

津波が押し寄せる前、

湾内の海水がすっかりなくなり、

それを見た島民が皆に呼びかけ避難できた。

6メートルのコンクリートの壁が

そこに立ちはだかっていれば、

果たしてどうなったかは推して知るべしだ。



説明会では、島民の全員が

防潮堤の建設には反対だとする意見が占めた。

6メートルの高さとは311程度の津波は防げないが、

30年に一回くらいの津波は防げる高さらしい。



台風も地震も、

雨も晴れも、

津波も自然だ。

人間の体だって

自然の一部。



自然とは、人知を超えた宇宙の仕組みだ。


その「天」の仕組みである自然を、

人間は傲慢にも科学で克服できると

思うようになってきた。

克服できなければ、

「想定外」という都合のいい言葉でお茶を濁す。



人間の死も、なかなか想定できない。

想定出来ないから楽しいし、

その時まで精一杯生きられる。



ある本を読んでいたら、

面白い解釈が書かれていた。

近頃は、一度読んだ本を

何度も繰り返し読む傾向にある。

その都度、違った見方が出来て、

ある意味では新鮮だ。

その本も、5年くらい前に読んだものだが、

そんな部分があったなんてすっかりと忘れていた。

ちょっと紹介しますね。


「人はそもそも、あずかり知らぬことによって、

今を生かされている。

私が羽織る服も、食べ物を焼く火にしても、

その昔に私のあずかり知らぬ者が

発見し作り出したものであろう。

それによりて我等が生かされているのであれば、

あずかり知らぬ過去のことで

命を奪われることがあるにしても、

それはそれであることであろう。」




空海が主人公の本の中の一部です。

これは、あたかも宇宙の真理とされている

「因果応報」

について、語っていると思われます。



人が生きるという事は、

古今東西の多くの人の因縁によって

生かされているのであって、

またその多くの因縁によりて

死ぬこともあると言っている。



その縁のことを「あずかり知らぬこと」

と表現しております。

面白い表現ですね。



確かに、今朝食べたご飯だって

先を辿れば弥生時代の前に

大陸からあずかり知らぬ誰かの手によって日本に運ばれ、

誰かの手によりて改良栽培され、

はるか時の流れのかなたで

私が電気を使ってお米を炊きいただいている。



その電気ですら、

3000年くらい前に

誰かが静電気としたものを発見し、

その後に磁石が発見され、

更に後に雷が電気と解り・・・・・


そう考えると、何から何まで

あずかり知らぬどなたかのお力をお借りしなければ、

例え一日ですら生きることはできませんね。

この巡る循環は、まさに「神の仕組み」そのものです。



「生」がその仕組みなら、

「死」も生の一部ですから、

あずかり知らぬことによりて

「死」を賜ることもありましょう。




交通事故や災害の犠牲者と

される方々の「死」も、

こういう仕組みの中の

物語なのかもしれませんね。


そのように考えると、

亡くなられた方の家族の方々の悲しみが

少しは癒されるのではないでしょうか。






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Last updated  2014.05.27 07:44:38
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