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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 夏季シーズンまで、早いものであと1か月。 今は、それに向けて修繕やら何やらで、 毎日汗をかいております。 この一ヶ月のシーズンを越してしまえば、 後はのんびりとした時間の中で、 島の生活を楽しんで暮らせます。 旅にも出られます。 こんな暮らし、何かのご褒美ですかね。 毎日汗してなんて言ってるけど、 しっかりと本読みはしておりますが。 今読んでいるのは、 (数冊同時ですが)弘法大師空海が 最晩年に著わした 「般若心経秘鍵」 というものです。 62歳で入滅された西暦835年の 前年の61歳の時の著作。 般若心経についての本は数多あるわけですが、 ちょっと変わった本ではあります。 勿論1200年前ですから、 資料もそうあるわけでもなく、 唐から持ち帰った経典の類くらいか。 高野山の開山中の寸暇を絞り出して、 昏々と湧きいずる泉の如く、 空海の心に湧いてくる 宇宙の英知を書き留めた・・・・・ そんな本かもしれません。 その中で、気になった部分を抜粋しました。 「行行(ぎょうぎょう)として円寂(えんじゃく)に至り 去去(ここ)として原初に入る。 三界は客舎(かくしゃ)の如し 一心はこれ本居なり」 人は道を求め続けて心静かな境地に至り、 またそこを去って命の原初に帰る。 実のところ人間の姿をとって この世に暮らしているのは、 ちょうど旅先の旅館に 宿を取っているようなもので、 いずれ宿を出る。 それを人は死と言うかもしれないが、 命の本家に帰るだけの事なのである。 この世は旅先の旅館の宿に 滞在するようなものと言っています。 本来の帰るべき所は別にある。 こういうことを明言しております。 このことは、私も常々想い、 書き、言っております。 この世で最も尊いものは「命」だと言われます。 その事は私も異論はありませんが、 この世の「命」より、 本来の「命」の方が より尊いとは思いませんか。 この世の「命」は、 肉体が死んだ後の 本来の「命」の為に あるべきではなのでしょう。 肉体が物質である以上、 誰にも肉体の死は訪れます。 諸行無常 と言われるところ。 空海は、肉体の死が訪れて後が 本来の始まりだと言っております。 だから、この世の生は、 肉体が滅んだ後の本来の生が より良く生きるためにあると言っても 決して過言ではないと、 島に移り住んで20年、 確信したことの大きな一つと言えます。 じゃあその為に、 今をどう生きたらいいの? という疑問には、 それぞれ自身の内面にその答えは 内包されているのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.06.14 08:01:20
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